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明治38年(1904年) | ||||||
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巻 | 号 | 発行年 | 発行日 | もくじ | 筆者 | 統一 |
5 | 118 | 明治38年 1905年 | 1月15日 | 日蓮上人の教義の一斑 日蓮上人の宗教及系統 日什聖人置文諷誦抄上 宗勢発展論 讚仏品 不受布施資料 仏陀 雑報:日上人の遷化 白井日照師遷化 植木屋の大演説会 大崎学報の発刊 | 本多日生 本多日生 坂本日桓 記者 古定賢正 梶木日種 不新 記者 記者 記者 記者 | 開く |
5 | 119 | 明治38年 1905年 | 2月15日 | 日蓮上人の教義の一斑 日蓮上人の宗教及系統 御書時代の信念 仏教家庭論 日本国と法華経 不受布施史料 従地湧出品の詩趣 音羽集 陣中帖 残雪録 懐かしき人々 東.寺院の戦死者追悼会 | 本多日生 本多日生 古定賢正 本多日生 本多日生 梶木日種 みゆき 記者 記者 記者 記者 記者 | 開く |
5 | 120 | 明治38年 1905年 | 3月15日 | 日蓮上人の教義の一斑 日蓮上人の宗教及系統 日什聖人置文諷誦抄上 慧光無量 家庭に於ける女性の位置 不受布施史料 春の夜 雑報:明石仏教僧俗同盟の成立 京都婦人報国会追悼大演説会 祖像分影の発願 | 本多日生 本多日生 古定賢正 紅蓮白蓮生 古定賢正 梶木日種 記者 記者 記者 記者 | 開く |
5 | 121 | 明治38年 1905年 | 4月15日 | 日蓮上人の宗教及系統 清水梁山市の本尊論に就て 日什聖人置文諷誦抄上 寂日房御書 懺悔録 不受布施史料 村上専精氏の仏陀論に就て 南無釈迦尼仏 雑報 | 本多日生 相川・白..・不新 坂本日桓 本多日生 野茨花生 梶木日種 本多日生 茨花生 記者 | 開く |
5 | 122 | 明治38年 1905年 | 5月15日 | 日蓮上人の宗教及系統 寂日房御書 高橋五郎氏著..日蓮論に就て 日什聖人置文諷誦抄上 懺悔録 不受布施史料 南無釈迦尼仏 余は如何にして信仰に入りたるか 雑報:顕本法華宗管長公撰 総本山妙満寺の野口本山部長 岡山通信 大法会 | 本多日生 本多日生 醉蝶 坂本日桓 野茨花生 梶木日種 野茨花生 一太 記者 記者 記者 記者 | 開く |
5 | 123 | 明治38年 1905年 | 6月15日 | 慶讃文(本多日生上人管長就任) 日蓮上人の宗教及系統 懺悔録 日什聖人置文諷誦抄上 生同名御書 蜷川・菊池両氏合著..日蓮上人伝について 末状集 管長就職式 祝詞 管長猊下御親教の状況 | 記者 本多日生 野茨花生 坂本日桓 本多日生 醉蝶 林日法老人 記者 記者 記者 | 開く |
5 | 124 | 明治38年 1905年 | 7月15日 | 戦時講話 日什聖人置文諷誦抄上 蘇生の道 懺悔録 ..の古諺 宗教は母性なり わが心の囁き 向島五月雨記 雑報:太平楽の発刊 本多管長猊下戦時御親教日記 | 本多日生 坂本日桓 木村義明 野茨花生 古定不新 文科大学おぼろ生 黒頭尊者・垢面居 士・白毫 記者 記者 | 開く |
5 | 125 | 明治38年 1905年 | 8月15日 | 統一主義に関する偶感 救済力 如来寿量品を読みて感受したる慰籍及訓誡 淳善の信仰 蘇生の道 我此土安穏文に就て再び答う 伊東の夜風 状案 随問而答 征途閑筆 本多管長猊下戦時御親教日記(3) | 山根顕道 古定賢正 本多日生 木村義明 憲洪 白毫 父少庵 記者 | 開く |
5 | 126 | 明治38年 1905年 | 9月15日 | 如来寿量品を読みて感受したる慰籍及訓誡 日什聖人置文諷誦抄上 不受布施史料 津坂日の題目の声..外浦海辺の月の題目 伝道資本論 征途閑筆 岡田治衛武君の佛教統一談 如来寿量品の僧欲一心欲具佛の経文を読みて 平和 雑報:京都通信 御法の通信 三上義徹氏の奉天通信 | 古定賢正 坂本日桓 梶木日種 外浦のほとり.南山 記者 父少庵 記者 憲洪 古定賢正 川崎以雲山人 松崎奈郷生 三上義徹 | 開く |
5 | 127 | 明治38年 1905年 | 10月15日 | 日什聖人置文諷誦抄上 子供と暗黒 不受布施史料 宗教の必要を論じて唯我独尊の語に及ぶ 学生の三要件 女子と宗教 戦国の勇婦..善祐尼 釈迦出離の年令及び其動機 誠意の解釈 雑報:岡山通信 管長認可 奉天巡りの記 | 坂本日桓 記者 梶木日種 今成乾随 鈴木晩村 文学士.小川銀次郎 須..馬 次郎 湯本武比古 記者 記者 記者 | 開く |
5 | 128 | 明治38年 1905年 | 11月15日 | 法華経講義の記述に就て 「日蓮上人の研究」其批評 日什聖人置文諷誦抄上 誠意の解釈.つづき 厭世は人生として高尚ならしむ 雪山の寒苦鳥 演劇刷新の一要素 劇詩に現れたる日蓮上人..近松門左衛門作.日硯を読む 小説..久遠陀羅尼 「日蓮上人の研究」中三篇に対する劇壇..大家の読話 雑報:美作通信 偉なるかな吾鳥越君 千葉県寺院連合追悼会 | 本多日生 醉蝶 坂本日桓 湯本武比古 篁堂雪 篁堂 古定賢正 覆面冠者 記者 記者 記者 記者 | 開く |
5 | 129 | 明治38年 1905年 | 12月15日 | 最晩の辞 観法華経の所感 法華経諸異本に就て法華経出現当時は如何なる形質を有せしめ 日什聖人置文諷誦抄上 宗教の両性を論ず 不受布施史料 古定賢正氏著「日蓮上人の研究」を読む 教界時信 事実としての教家の妻帯問題 本門と迹門 小説..久遠陀羅尼 雑報:京都通信 岡山通信 美作通信 岡山祖書講義会 | 本多日生 国友文次郎 坂本日桓 小倉樗哲 梶木日種 樗哲 記者 鐡骨生 憲洪院 覆面冠者 記者 記者 記者 記者 | 開く |