ジョバンニの切符
国柱会の会員へ授与される「大曼荼羅本尊」(写真は未開眼のもの)
賢治に授与された曼荼羅は黄麻紙という防虫効果のある紙に刷られたもの。
(引用ではジョバンニの切符は緑色だが初期形のものは黄色のハンカチ大)
(1)ジョバンニのポケットにいつの間にか入っていた大きな切符
ジョバンニの切符
じめに、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の「ジョバンニの切符」の中の文を抜粋させていただきます。
《「切符を拝見いたします」三人の席の横に、赤い帽子をかぶったせいの高い車掌が、いつかまっすぐに立っていて言いました。(略)ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着のポケットにでも、はいっていたかとおもいながら、手を入れてみましたら、何か大きなたたんだ紙きれにあたりました。こんなものはいっていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大さの緑いろの紙でした。(略)カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ちかねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもので、だまって見ているとなんだかその中へ吸い込まれてしまうような気がするのでした》
切符は何か
乗車切符を見せるように求められたとき、カンパネルラは所定の灰色の切符を、ジョヴァンニはいつの間にかポケットに入っていた紙切れを何だか分からないまま差し出します。「これは三次空間のほうからお持ちになったのですか」と車掌。そばにいた鳥捕りは「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ」と驚く、そんな場面です。
物語の中で、死者たちの切符より、ジョヴァンニの持っていた切符が大きな意味を持っています。その切符については以前から法華系の研究者からは日蓮聖人の大曼荼羅であろうという指摘がありますが、一般の解説では殆ど触れられていません。
賢治は大正九年に国柱会に入会、授与された曼荼羅を生涯身辺から離しませんでした。それは田中智学居士が日蓮の真筆から臨写したものの会員授与版で、黄麻紙に刷られたものでした(ジョバンニの切符は右の引用では「緑色」となっていますが、初期の稿では「黄色」と書かれています)智学はこの曼荼羅の意義を「空理空談でなく、事実の上の国家人生に打ち建てらるべく」と述べています。立正安国・常寂光土という理想世界の相を顕したのが日蓮聖人の大曼荼羅の世界です。そうした大曼荼羅の世界と明治・大正期移入のユートピア思想が重なりあっているようです。また科学知識・芸術・星座・キリスト教世界への憧憬や、北の海での船舶事故やロシア・中国の脅威など、日露戦争後の時代背景も関係しているように思えます。
重要な切符については後述致しますが、作品の中には必ず賢治の信仰が込められているはず、そんな理由で、作品に描かれた星座の物語や登場人物の姿に関係する文章や研究論考、図版資料などを集めてみました。これから数回、そうした資料の幾つかをご紹介致します
ラッコの毛皮のトンビ
ラッコ狩猟図
ラッコの上着
〈街燈の下を通り過ぎたとき、ザネリが、新らしいえりの尖ったシャツを着て電燈の向う側の暗い小路から出て来て、ひらっとジョバンニとすれ違いました。(略)「ジョバンニ、お父さんから、 らっこの上着が来るよ」 その子が投げつけるようにうしろから叫びました〉
(「ケンタウル祭りの夜」より)
明治三十八年、日露戦争の結果、ポーツマス条約が締結され北緯五十度以南の南樺太が日本の領土となりました。 ラッコの毛皮は防寒用として、男性のオーバー裏、衿の防寒に使いはじめられ、その後の第一次大戦の影響で、日本は好景気時代を迎え、男性は和服で外出するときには、「とんび」(右図)と呼んばれた外套を着、その衿には、ラッコやカワウソの毛皮をつけました。ラッコの毛皮はかなり高価な品物で、一種のお洒落な贅沢品だったのでしょう。
父の仕事ははそうした時代を先取りした羨望の目でも見られる空気に包まれていたのでしょう。しかし、何らかの理由で帰国できなくなり、逆に子供仲間の戯れの対象となっているという設定です。また、父が密猟者ではないことは「ケンタウル祭りの夜」の前の章の「家」で、次の母との会話で語られています。
《「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっと間もなく帰ってくると思うよ」「あああたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの」
「だって今朝の新聞に今年は北の方の漁は大へんよかったと書いてあったよ」「ああだけどねえ、お父さんは漁へ出ていないかもしれない」「きっと出ているよ。お父さんが監獄へ入るようなそんな悪いことをした筈がないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈した巨きな蟹の甲らだのとなかいの角だの今だってみんな標本室にあるんだ。六年生なんか授業のとき先生がかわるがわる教室へ持って行くよ。一昨年修学旅行で…「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもってくるといったねえ」》
最後の「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもってくるといったねえ」という母の何気ない言葉は父が密猟者では無いことを表しています。主人公は学校で、父が帰って来てラッコの上着がもらえることを嬉しそうに話したのかも知れません。また、父が遠くに旅に出て不在という設定は法華経如来寿量品の良医治子の譬えも思い起こさせます。
ケンタウル祭り
物語では、銀河のお祭りで、ケンタウル祭の夜には烏瓜のあかりを川に流します。また、いちいの葉の玉を飾ったり、ひのきの枝にあかりをともして「ケンタウルス、露を振らせ」とはやします。(夏の干天期の雨乞い祭りか)また、新しいシャツを着る子供が多いとあります。
ケンタウルス座はおとめ座の真南にあり、南十字の真北に位置する星座です。初期形を見ると、「七星祭」や「星曜祭」に書き換えたりもしています。
聖ジョバンニ祭り
聖ジョバンニ祭り
イタリアの古い都市国家フィレンツェなど、ヨーロッパに広く行われてきた、聖ヨハネ(洗礼者ヨハネ)を祭る聖ジョバンニの祭は民間信仰の夏至の祭りが起源で、六月二十四日に行われます。人々は白い着物を着て、楽器を鳴らしながら行列し、街角では宝石やガラス器等の宝物を展示するということですが、主人公の名や祭りの様子が重なります。
賢治の思想や好みの中には、中世末期イタリアの都市や共同体思想への憧憬も見られます。後述しますが、『太陽の都』の著者で、ユートピアを語り三十年以上にもわたって投獄された中世の修道僧カンパネッラの世界観の影響も考えられます。
ケンタウル祭は日本の七夕祭と、このジョバンニ祭が結びついたイメージが浮かびます。
後生車
法華経説相図
(2)ジョバンニを銀河鉄道に誘う「天気輪の柱」
『銀河鉄道の夜』に「天気輪の柱」という不思議な〝柱〟が登場します。前回では、この物語の舞台となる「星祭りの夜」について、「聖ジョバンニ祭」のイメージや主人公の名前などが重なる点、そしていじわるな級友にからかわれる「ラッコの上着」について資料を紹介しました。
今回とりあげる「天気輪の柱」はその次の場面、ジョバンニが星祭りに行く途中、級友のザネリにからかわれ、親友カンパネルラとも気まずくなって、一人ぼっちで町はずれの丘の上にあります。その場面の作品を以下に引用させていただきます。
五、天気輪の柱
そのまっ黒な、松や楢の林を越えると、俄かにがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へ亘っているのが見え、また頂の、天気輪の柱も見わけられたのでした。〔略〕
ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。
主人公は「天気輪の柱」の丘で〝風が遠くで鳴り、草もしずかにそよいでいて、遠く黒くひろがった野原を見わたします。すると汽車の音が遠く聞え、ジョバンニはその中の旅人たちが、りんごをむいたり、わらったり、いろいろな風にしている〟と思いを馳せます。そして、何だか悲しくなって夜空を見上げるうちに、いつか不思議な世界に入り込んでいきます。すると「天気輪の柱」は不思議な変形をして、彼を銀河鉄道へと導くのですが、その場面です。
六、銀河ステーション
そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
さて、実は天気輪の柱は、物語の最後でもう一回登場します。
現在、一般に読まれているのは「第四次稿」で、そこにはありません。しかし、それ以前の第三次稿では、このジョバンニの物語の中での体験を観察し、見守っていたというブルカニロ博士という人物が天気輪の柱の裏から登場し、物語の謎解きめいたことをする場面があります。その第三次稿の最終部分を引用。
九、ジョバンニの切符
「あゝではさよなら。これはさっきの切符です。」博士は小さく折った緑いろの紙をジョバンニのポケットに入れました。
そしてもうそのかたちは天気輪の柱の向ふに見えなくなってゐました。ジョバンニはまっすぐに走って丘をおりました。そしてポケットが大へん重くカチカチ鳴るのに気がつきました。林の中でとまってそれをしらべて見ましたらあの緑いろのさっき夢の中で見たあやしい天の切符の中に大きな二枚の金貨が包んでありました。
さて、この「天気輪の柱」というのは物語中の造語です。作者が主人公にこの不可思議な体験に導く舞台道具として登場させたこの〝柱〟の正体については、大まかに言って、宗教的要素を重視するか、天文現象など自然現象に結びつける論に大別できると思いますが、一般によくあげられるのが「後生車」説と「太陽柱」説です。次にその二者を示してみましょう。
「後生車」「太陽柱」説
後生車は主に石や木を刳り貫き輪を嵌めて回るように細工したものです。もとの形は、今もネパールなどの寺院の欄干にある経文を彫って回転するはめ込まれた石柱や、要文や祈りの言葉を刻んで手に持って回すマニ車が起原です。僧や信徒がそれを回しながら巡り、一巡するとそこに彫られた経典・章句を一読する功徳に擬えるものですが、日本ではお百度参りの祈りの際の寺院参道の百度石や山頂に建てられたものも見られます。しかし、仏教由来の「法輪」に擬えた石造物は、この物語の舞台のスペイン風な異国の丘には、一見そぐわないようにも思えます。
また、太陽柱は、〝日の出または日没時に太陽から地平線に対して垂直な方向へ焔のような形の光芒が見られる大気光象〟と説明されている太陽の光が真っすぐ上に伸びたように見える珍しい現象といいますが、物語では天気輪はジョバンニにとって既知のものであって銀河鉄道の出現は夜ですので、やはり、イメージが整合しないように思えます。
「法華経の多宝塔」
天気輪の柱には他に、大型の日時計の針やオベリスクなど、形や意味性が呼応するものがあげられています。一方、法華経の見宝塔品・従地涌出品に説く地より出現し虚空に浮かび、光り輝き多宝如来と釈迦如来が並座する七宝の巨大な多宝塔だとする説もあります。以下に該当部分の要約のお経文を引いてみます。
見宝塔品
そのとき釈尊の前に、大きな七宝の塔が地面から湧き上がった。高さ五百由旬、底辺の縦横二百五十由旬の大きさで、湧き上がって空中に浮び、そこに留まった。様々な宝玉で飾られ、五千の欄干、幾千の飾り棚、無数の旗や吹流しや宝石の環が吊るされ、幾千の大小の鈴がさがっている。四面から香木の香がただよい世界を満たしている。七宝の日傘の列は、天の宮殿まで届き、諸天は天の花々を降らし、人も非人も一斉に様々な花、香料、伎楽を鳴らして供養した。その宝塔から大音声が響いた。
従地涌出品
そのとき、娑婆世界の三千大千世界のすべての国土が激しく揺れ、地が割れ、その中から幾千万億の菩薩たちが一気に湧き出てきた。身は金色に輝き、如来の相を有し、光明を放っていた。みな娑婆世界の下の虚空に住んでいて、釈尊の声を聞いて現われてきたのである。菩薩たちは湧き上がって、虚空に浮かび、七宝の塔の多宝如来と釈迦牟尼仏に向かって頭面に足を礼し、また諸々の宝樹に座している諸仏にもそれぞれ礼拝し、二仏を仰ぎ見てまたそれぞれの菩薩が仏を賛嘆した。こうして五十小劫が経ったが、その間、釈迦牟尼仏は黙然として座していた。会衆には半日に思われた。
イメージの重なりはありますが、物語では、地上の現実描写と天上の幻想描写の区別があり、天気輪の柱の描写は地上にあった主人公がよく知っている建造物です。しかし、仏教者が法華経虚空会の壮麗な七宝の塔と見るならば、他にも旧訳聖書のヤコブの〝天の門〟説もあります。
さて、こうした要素を示すとの多くの一般読者は〝イメージを遊離して物語の描写を歪めてしまう〟と感じましょう。しかし、こここそが求道者・賢治の才能が遺憾なく発揮されている点なのかも知れません。
五輪峠の五輪の墓
五輪峠
一方、宮沢賢治の最晩年の詩篇を集めた『文語詩稿一百編』の「病技師(二)」にこの「天気輪」の語があります。大正十三年三月、五輪峠を訪れた時の歌です。
あえぎてくれば丘のひら
地平をのぞむ天気輪
五輪峠は江戸時代は南部藩と伊達藩の関所が置かれていたところで、江刺市・遠野市の境にある峠です。ここには宮沢賢治の詩碑が建てられています。五輪峠の詩です。
五輪峠と名付けしは
地輪水輪また火風
巌のむらと雪の松
峠五つの故ならず
ひかりうずまく黒の雲
ほそぼそめぐる風のみち
苔むす塔のかなたにて
大野青々みぞれしぬ
これに関連するまた、こんなメモも残っています。
あゝこゝは五輪の塔があるために五輪峠といふんだな。ぼくはまた、峠がみんなで五っつあって、地輪峠水輪峠空輪峠といふのだらうと、たったいままで思ってゐた。地図ももたずに来たからな。
天気輪の柱はかつて五輪峠で見た五輪塔からイメージされ、多宝塔や太陽柱や送電鉄塔のイメージと複合した賢治独自のイメージ。
また、求道者・賢治が、胸中の宗教的世界観をサブリミナル的に含ませた可能性を濃厚に感じさせます。
夏の午後九時頃の北の星座
イーハートーブの風景(花巻)
フィリップス社製星座早見盤
(二十世紀初頭/ロンドン)
(3)「銀河ステーション」/天空の位置と七夕の物語
銀河ステーション
前号では主人公ジョバンニが星祭りの夜に、北方の漁から戻らない父のことで級友にからかわれ、孤独をかみしめつつ登った丘に聳える天気輪の柱について考えました。今回は次の場面、銀河鉄道列車の出現と銀河ステーションについてです。最初に作品の該当部分を引用します。
そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云う声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって…(以下略)
天気輪の柱の聳える町はずれの丘に「銀河ステーション」という声に続いて眩い光が現れ、気がつくともうジョバンニは列車に乗っています。その列車に乗車した「銀河ステーション」とはどこでしょうか。
引用させていただいた文章の少しあとに、「ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指しました」と、あります。
「円い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見」る。盤形の地図、星座早見盤でしょう。黒曜石で出来ているということは黒地に白く書かれているものです。この地図で白鳥座のすぐ北が「銀河ステーション」です。
季節は夏ですので、白鳥座は七月上旬の夜半に北の空の少し東寄りに見えます。肉眼で地上に立って夜空を眺めると、はくちょう座からすぐ北寄りにはこの季節「こと座」が見えます。川に身を投げて死んだオルフェウスの琴です。
この「こと座」にはひときわ明るい一等星ベガがあります。ベガは、アラビア語の「急降下する鷲」という意味で、日本では「織り姫星」という方が有名です。銀河を挟んで牽牛星とともに、別ればなれになった恋人たちの悲話の七夕の星です。牽牛星は西洋の星座ではアルタイルといいます。鷲座の一等星です。
さて、気になるのはどちらも鷲であること。冥界の旅をする列車の乗車駅、そして物語の後半では、列車は「鷲の停車場」を目指しています。物語の暗喩はこの「鷲」に関係があるのかも知れません。「鷲」はお釈迦さまの法華経説法の舞台・霊鷲山を連想させ、法華経の行者の死出の旅の臨終安心の境涯をあらわす「霊山往詣」の教えを連想させます。
ただ、この物語の場面では星座早見盤のようなものを手に持って上からその地図盤を見ています。そうすると、白鳥座の真の天空の北、つまり北極星寄りはケフェウス座です。ケフェウス座は三等星が三つの他には暗い星ばかりで構成されています。実際に夜空の下に立って星空を眺めると、このケフェウス座よりも、先ほどの「こと座」の方が北天の頂き付近に見え、〝白鳥のすぐ北〟にある感じがします。ちなみに星座早見盤の見方は緯度・季節・時刻をあわせ空にかざし下から見上げます。
賢治の作品には星や星座を材にしたものも多く、知識も豊富です。銀河鉄道の夜にも名前が登場する「星めぐりの歌」でも星座の位置関係がずれて歌われている部分がありますが、それは星空を実際に眺めた感覚と星図の記述を追った際に生ずる観測者ならではの錯誤でしょう。
主人公が列車に乗る前に体験する〝眩い光〟とあわせて考えると、「こと座」が有力です。また、列車の中で、親友カンパネルラと再会すること、七夕の悲話の「かささぎ」、オルフェウスの琴などとあわせると「こと座」が有力です。次に、かささぎとの関連を説明しましょう。以下は有名な七夕伝説のあらすじです。
織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。同じく働き者の牛使い彦星と仲睦まじく、天帝は二人の結婚を認めました。めでたく夫婦となった二人だったが、夫婦生活が楽しくてしかたがなく、織姫は機を織らなくなり、彦星は牛を追わなくなってしまいました。このため天帝は怒り、天の川の両岸に二人を引き離してしまう。ただ、天帝の情けによって、年に一度、七夕の夜に限り会うことが許されました。そして、はじめての七夕の夜のこと、二人は天の川の岸に立ち、互いのいる向こう岸を眺めていました。すると、どこからともなく、かささぎが飛んできて、織姫の足元に降り立ちました。彦星の方にも、同じように別のかささぎが降り立ちました。「天帝の命により、お二人の架け橋になりに参りました」と、かささぎが言いました。すると、次から次へとかささぎが飛んできて、翼を精一杯広げ、互いの翼をつなげていきました。見る見るうちに、天の川にかささぎの橋ができました。織姫と彦星は、両方からかささぎの橋を渡って行きました。こうして二人は、一年に一度だけ、七夕の夜に会うことができるようになりました。
さて、第九、ジョバンニの切符の章に、「からすでない。みんなかささぎだ」とあり、次のように物語がつづきます。再び引用になりますが、物語の場面と七夕のかささぎを関連づける部分です。
川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛い服を着て赤い帽子をかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが俄かに赤旗をおろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者のように烈しく振りました。すると空中にざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまりも鉄砲丸のように川の向うの方へ飛んで行くのでした。ジョバンニは思わず窓からからだを半分出してそっちを見あげました。美しい美しい桔梗いろのがらんとした空の下を実に何万という小さな鳥どもが幾組も幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外で云いました。「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂気のようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんという潰れたような音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。と思ったらあの赤帽の信号手がまた青い旗をふって叫んでいたのです。「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。
牽牛と織り姫を結ぶ〝天の川のかささぎの橋〟のイメージがあります。
次回は冒頭の引用部分に登場する三角標について考えます。
こと座のベガ
(4)オルフェウスの物語と三角標/顕われる天空の線路
こと座の神話
さて、前号ではジョバンニとカンパネルラが銀河鉄道に乗った「銀河ステーション」が「こと座」で、その明るい星「ベガ」はアラビア語の「急降下する鷲」を意味する語で、法華経の行者が臨終に際して訪れる霊山浄土を連想させることなどを考えました。そして、七夕伝説とこの物語中の星祭のイメージの連鎖を示しました。
今回は前に少し触れたオルフェウスの神話について、補足します。最初にオルフェウスと「こと座」の神話のあらすじです。これは銀河鉄道の夜の物語の構造や日本の伊邪那岐命・伊邪那美命の黄泉の国の神話とも重なります。また、後述する賢治が後年に取り組んだ羅須地人協会の名前の由来の一説とも関係する〝西漸する西洋文明と東漸する東洋文明〟という東西文明が融合するユートピアへの思慕とも関係するものですので、少し長くなりますが、黄泉国伝説とともに紹介します。
《オルフェウスは芸術の神・カリオペの息子、国で一番の歌声と竪琴の名手。竪琴の音色は神々ばかりか花や木、鳥や魚や野獣までも聞き惚れます。やがてオルフェウスは美しい妖精エウリディケと結婚しますが、ある日エウリディケが森を散歩していた時、毒蛇にかまれて死んでしまいます。
オルフェウスは妻を生き返らせたい一心で、決して生者が通れない冥界へ続く深い洞窟を進んで行きます。冥府の河の船頭カロンは「お前には影があるから乗せらない」と一度は断ります。しかし、オルフェウス琴を弾き始めるとカロンは黙って舟に乗せたます。冥界の門の番犬ケルベロスも琴の音色を聴くと静かに眠りました。そしてついに、冥界の王ハデスの前に至ります。
「貴様は何者だ!また何の用があってここへ来た!ここへは死んでからでなくてはこられないということを知らないのか!二度と外へ出られないようにくさりにつないで牢に入れるぞ!」
オルフェウスは黙ったまま竪琴をとると、美しい音色をかきたて、美しい声で歌いだした。その歌を聞いているうちにハデス王の怒りもだんだんおさまり、おだやかな顔になりました。
「お前は美しい音楽ですっかり私を喜ばせてくれた。こんないい気持ちになったのは生まれてはじめてだ。どういう願いがあってここにきたのか。いい気分にしてくれた礼にどんな願いでも一つだけ叶えてやろう。なにか願いがなくては死なないさきにこんなところへくるものはいないからな」
「ありがとうございます。では申し上げますが、王よ、どうか私のエウリュデケを返してください。もう一度私と地上で暮らさせてください」そうオルフェウスは頼んだ。この願いを聞いてハデス王は暫く悩んでいましたが最後にはうなずいて言いました。
「お前はあんなに素晴らしい歌をうたってくれたのだからその無理な願いも叶えてやろう。安心して地上に戻るがいい。エウリュデケはお前の後からついてゆく」
そこからさらに念をおすかのように付け加えます。
「ただし、ことわっておくが、あの女が地上に着くまで、お前は決して後ろを振り返ってはならぬ。もし、振りかえったなら、あの女はたちまちまたこの死の国に引き戻されてしまうだろう。そうなったら私にもどうすることもできなくなってしまうのだからな」
オルフェウスは喜んで妻を従え、急ぎ足で出口に向かっていくと、陽の光が先に見えた時「ほら、もうすぐだよ」彼は妻のほうに振り向いてしまうと、エウリディケの姿は冥界へ消えていきました。
その後、失意のオルフェウスはディオニュソスの祭りで酔ったトラキアの女達に曲を弾けと強要されますが、弾かなかったために八つ裂きにされ、川に投げ込まれてしまいます。ゼウスは哀れに想い彼の竪琴を星座にしました》
次は日本の黄泉の国の神話です。
《結ばれた二人は、本州、四国、九州など八つの島々を次々と生み出しました。国生みを終え、さらに風、水、海、山、草など次々に神を生みました。しかし、ホノカグツチを生む際、イザナミは命を落としてしまいます。
自分の妻のイザナミを恋しく思うイザナギは、黄泉国へイザナミを探しに行きます。しかし、イザナミは「わたしは、とても悔しいのです。あなたは、すぐにわたしを迎えに来てくださいませんでしたので、この国の食べ物を食べてしまいました。(黄泉の国の住人になっていまいました)しかし、あなたが、せっかくおいでくださったので、わたしも帰りたいと思います。これから黄泉の国の神に相談いたしますので、その間は、決してわたしの姿を見ないでください」と告げ、御殿の中へ戻ってしまいます。かなりの時間が過ぎ、待ちきれなくなったイザナギはついに約束を破り、覗き見てしまいます。恐ろしいイザナミの姿、イザナギは逃げ出します。
夫に約束を破られ恥をかかされたイザナミは、魔物とともに後を追いかけてきます。イザナギは身に付けているものを色々な食べ物に変え、逃げ続け、何とかこの世に通じる坂道を駆け上り、地上に出ると近くにあった巨大な岩で黄泉の国への道を塞ぎました》
「こと座」神話ではオルフェウスとカンパネルラの水難事故や冥界の鉄道で友人と出会うジョバンニの姿が、「黄泉の国」神話とは同乗者とともにリンゴを食べる場面なども、イメージが重なるところがあります。ちなみに、オルフェウスが川に投げ込まれた「ディオニュソスの祭り」のディオニュソスは物語の四章「ケンタウル祭の夜」のケンタウルス・フォローは、酒の神ディオニュソスの養父・シレノスの子です。
三角標
測量機/昭和初期
三角標
話を物語の流れにもどします。次に考えるのは「銀河ステーション」の解説箇所で引用した文に登場する三角標です。この物語の中で、三角標とは何を意味するものなのでしょうか。先号と重複しますが、その部分を引用させていただきます。
「ジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです」
「ジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです」
「野原にはあっちにもこっちにも燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、あるいは三角形、あるいは四辺形、あるいは電や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱいに光っているのでした」
賢治は測量への知識もあったでしょう。星座は星空の下で方角や時間を知る目印として使われます。そして、同じように地図に示された三角点間の観測方向などを線で結めば「三角形」「四辺形」などになり、遠方の三角点との位置や角度から距離が求められます。物語の舞台は夜で、回光器に明かりが灯され、その連なりが星座です。また、この三角標や当時の測量機(写真)に星を観測する望遠鏡や三脚の姿が重なります。
「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重製造の蒸気機関車模型(嘉永6年/動力はアルコール)
銀河鉄道の旅
この三角標によって姿を顕わした天空の線路を、天の赤道を遡る、星座を北から南に向かう旅。さらに言えば物語に登場する地上の世界事象は南から北へ向う…それは当時の少年科学雑誌に登場する、過去と未来・方角までも座標が交差して出会う点があると俗説された四次元空間の旅のようです。それは、「ジョバンニの切符」の章の中の次の場面のように、冥界・現世、生者・死者の出会いと別れを暗示しているようです。
「川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛い服を着て赤い帽子をかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが俄かに赤旗をおろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者のように烈しく振りました」
この場面は、第三章「家」でカンパネルラとの思い出として語られる信号機と鉄道模型が重なります。
二重星アルビレオ
「あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中たびたびカムパネルラのうちに寄った。カムパネルラのうちにはアルコールラムプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や信号標もついていて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ」
信号機は後の「ジョバンニの切符」の章で登場する白鳥区のおしまいアルビレオの観測所の「青宝玉と黄玉の大きな二つのすきとおった球」のイメージと関連します。アルビレオは有名な二重星で、白鳥座(キグナス)のくちばしの先に当たる部分にある星です。この星が二つの色にまたたくのは、至近距離にある二つの星が、ほぼ重なって見え、大気の揺らぎで明滅しているように見えるからです。この星は、ギリシャ神話では、太陽神アポロの息子であるパエトンの友人・キグナスが化身したものと言われ、キグナスもまた川に落ちた友人を探し、その姿を哀れんで星座とされているのです。
さて、こう考えて来ますと先の「家」の章の引用文の後に、「そうだ、今晩は銀河のお祭だねえ」「うん、ぼく牛乳をとりながら見てくるよ」「ああ行っておいで、川へははいらないでね」というジョバンと母の会話の「牛乳」が銀河であろうとか、母の「川に入らないで」という言葉がすでに冥界の鉄道に入るわが子を案ずる言葉のようにも思えてきますが、この考察では、なるべくそうした細部に入らないように留意し、作者がこの作品で、未来を担う子どもたちに何をを伝えたかったかという点に要点を絞って行きましょう。
(5)ジョバンニをからかうザネリ/物語の当初の構造
絵の具を重ねるように
さて、前号では、賢治が生きた時代、当時の日本人の心の底流にあった、西洋文明の享受とこの日本を東西の文明の融合するユートピア国家として建設したいという夢がこの作品に織り込まれていることを示しました。それは田中智学居士、本多日生上人が提唱した日蓮主義の全盛期でもありました。すなわちブッディズム(buddha+イズム)による理想国家実現の支柱に日蓮聖人の教えを据えていこうという〝日蓮イズム〟すなわち日蓮主義をこの日本の支柱として東西文明の可能性を融合統一したいという、近代国家日本の進むべき道を指し示す、暗い大海に船出した日本の進路を示す一等星のようなものでした。賢治もこの夢に焦がれ、在家教団の国柱会の門を叩き、法華経の教えを生涯、信奉しました。
この東西文明融合の夢の存在は羅須地人協会の名前の由来とも関連する内村鑑三の『地人論』を説明するところで再び述べることになりますが、この作品には、ベガ(織姫星)に代表される「こと座」のオルフェウス神話と日本の「黄泉」神話で、死者を冥界に探しに行く旅の様子や結末が重なることや、夜空で別離の恋人と逢う七夕の物語など、東西文明の物語が重ねられていました。
さらに「三角標」の項では天体望遠鏡と測量機のイメージの類似や、三角標の役目と地上の測量地図が、星座で描く天空の星図の役目と使用目的とが重なることも示しました。
すなわちこの物語は地上と天空の世界、生者と死者の世界の重なる世界に自然に読者を誘っているのです。これは前回の最後に少しふれました白鳥座の二重星「アルビレオ」についても同様で、アルビレオは物語では生命の明滅を観測する「アルビレオの観測所」として登場しますが、白鳥座のくちばしの先に当たる部分の星。この白鳥座はギリシャ神話で、太陽神アポロの息子パエトンの友人・キグナスが化身したもので、このキグナスもまた、川に落ちた友人を灯火で探し続け、その姿を神が哀れみ星座に昇らせたものでした。
さて、前号の最後に〝この考察では、なるべく細部に入らないように留意して作者がこの作品で、読者に何を伝えたかったかということを示して行こうと思っています〟と述べましたが、大きな構造が精緻な美しい絵の具の一筆ごとによって織りなされ、その鮮度を失わないように留意して描かれているような賢治の文学作品の解析にはどうしても細部の説明が必要になる場合があります。そんなわけで、今回は掲載の紙数も少ないこともあり、やはり細部の説明になります、ご容赦下さい。
「ザネリ」登場人物の名
物語で主人公を最初から揶揄しているザネリ、読者なら誰しも〝この子はいったい何なんだ〟と思うことでしょう。
一、午後の授業
「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう」
ジョバンニは勢よく立ちあがりましたが、立って見るともうはっきりとそれを答えることができないのでした。ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。
四、ケンタウル祭の夜
大股にその街燈の下を通り過ぎたとき、いきなりひるまのザネリが、新らしいえりの尖ったシャツを着て電燈の向う側の暗い小路から出て来て、ひらっとジョバンニとすれちがいました。
「ザネリ、烏瓜ながしに行くの」ジョバンニがまだそう云ってしまわないうちに、
「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ」その子が投げつけるようにうしろから叫びました。
ジョバンニは、ばっと胸がつめたくなり、そこら中きぃんと鳴るように思いました。
「何だい。ザネリ」とジョバンニは高く叫び返しましたがもうザネリは向うのひばの植った家の中へはいっていました。
「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。走るときはまるで鼠のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのはザネリがばかなからだ」
ザンニ(Zanni)役の仮面
さて、このザネリ、星座の神話や仏教説話や聖書などに名前の由来やイメージを求めましたが、どうにもありません。物語の構造とあまり関係しない存在なのでしょうか。
このザネリ、物語のケンタウロス祭、主人公の名・ジョバンニに関する夏至近くに行われる洗礼者ヨハネの誕生日の「聖ジョバンニ祭」で人々が着けたり、広場での仮面劇に用いる仮面の名に由来がありそうです。
ベニスのカーニバルや旅回りの仮面劇で、出演者がつける仮面に似た名がありました。ザンニ(Zanni)と呼ばれる仮面です。賢治は童話でご存知の通りチェロ弾きです、賢治も弾いたかは不明ですが、その練習譜として古くからある曲に、ドビュッシーのベルガマスク組曲の有名な章「月の光」(原曲はピアノ曲)があります。「ベルガマスク」とは、イタリアのベルガモ地方の舞曲、またはその舞曲を踊る人という意味だということですが、実際にはそのような舞曲とは直接の関係はなく、ヴェルレーヌの詩「月の光」の一節「そこではお洒落な仮面とベルガモ風の衣装が行き交い」から名づけられました。この詩では、一見楽しそうですが、仮面の下には悲しみや郷愁の念をかくしもっている道化師たちの様子がうたわれています。
ヴェルレーヌといえば放浪の天才詩人ランボーと旅を共にし、日本では上田敏の『海潮音』収録の訳詩「落葉」が有名です。
秋の日の/ヴィオロンの /ためいきの/ひたぶるに/身にしみて/うら悲し…
文学者にして科学者、音楽家にして農村演劇を奨励した賢治もこの詩を愛唱したのではないでしょうか。
物語では、祭りの広場で人々が仮面をつけて踊る描写はありませんが、物語全体を一つの舞台、役回りとしてとらえて考察することは、物語の西洋の地方村落という舞台設定、賢治が盛岡高等農林学校で「小作人たれ」「農村劇を演じろ」(松田甚次郎の回顧録『土に叫ぶ』)と教えていたことからも、この古典劇の仮面は何か関連がありそうです。
ザンニは「召使い」とか「道化」「小悪党」というイメージの仮面です。そして、旅回り喜劇の古典、コンメーディア・デッラールテの舞台は、ベルガモ近郊に位置するサン・ジョヴァンニ・ビアンコという村といわれ、劇ではこのザンニ(これはジョヴァンニのイタリア北部方言)の面を着けたアルレッキーノ(クラウン・ピエロの起源)という土地の人物が劇の主要な役柄を演じます。
ザンニの面の原型は髭の老人ですが、やがて鳥の顔のようになります。賢治がこうした西洋の古典農村劇に関心を持っていた可能性は高く、そうすると、意地悪な「ザネリ」も、嫌な感じの「鳥捕り」も、主人公の「ジョバンニ」も、当初は未開墾の荒れ地のように粗雑で愚かで素朴な性質という設定があったのかも知れません。読者も、作家自身も主人公に共感していきますので、いつの間にか主人公を運命的存在等に擬える方向に解釈や推敲は進みますが、当初は登場人物達は当時の農村労働者の粗野な一面、未開花の仏種、神の恵みに気付かぬ人々で、この旅で人生の真の目的に目覚めるという設定が存在したのではないでしょうか。
完成した作品ではこうした設定は殆ど隠れて見えません。むしろそれらを遙かに凌ぐ大きなテーマが燦めいています。読者はこの作品に宿った生命の如きものにふれるのです。
羅須地人協会(階段下のオルガン)
田中智学居士
ラルフ・ワルド・エマーソン
(6)読者の仏性を無意識に輝かせる文学、それが賢治童話、
《地涌の菩薩達へのエール》
無意識の仏性
さて、先回は主人公ジョバンニを揶揄するザネリの名前の由来を考えました。ザネリの名にはイタリアの古典仮面劇コンメディア・デッラルテに登場する召使いキャラクターの原型〝ザンニ〟が考えられました。ザンニ役の仮面は髭の老人の顔から後に鳥の顔様になり、役柄も性質によって、アルレッキーノやブリゲッラ、プルチネッラやピエロなどに分かれます。〝ザンニ〟の仮面と性格はこの物語にもう一人、主人公達が疎んじてしまった〝鳥捕り〟も連想させました。そして仮面劇の発祥のイタリア北部では〝ザンニ〟は〝ジョバンニ〟の訛りでもありました。
さて、この三者に共通するものがあります。それは、自分の中に輝くもの・仏種を持ちながらそれに気付かないでいること。ごく普通で未開墾で目立たない存在の中で自然に具わっている内なる無意識の輝きです。自分には手の届かないと思える高貴な輝きを、その存在の奥底から真っ直ぐに照り返してくる光、それが賢治がこの物語でもいう「ほんたうのひかり」「ほんたうの力」というものなのです。次回に改めて説明しますが、それは法華経の本化の地涌の菩薩の仏性・仏種です。
物語の核心というべきものが、すでにこの人物設定に見えます。そして、作者の堅固な地涌の菩薩達への讃歎が、物語の中で冥界と現世、現世とユートピア、俗なるものと気高きもの等の一切の境界を見事に取り払うことに成功しているのです。
無意識の仏性
さて、先回は主人公ジョバンニを揶揄するザネリの名前の由来を考えました。ザネリの名にはイタリアの古典仮面劇コンメディア・デッラルテに登場する召使いキャラクターの原型〝ザンニ〟が考えられました。ザンニ役の仮面は髭の老人の顔から後に鳥の顔様になり、役柄も性質によって、アルレッキーノやブリゲッラ、プルチネッラやピエロなどに分かれます。〝ザンニ〟の仮面と性格はこの物語にもう一人、主人公達が疎んじてしまった〝鳥捕り〟も連想させました。そして仮面劇の発祥のイタリア北部では〝ザンニ〟は〝ジョバンニ〟の訛りでもありました。
さて、この三者に共通するものがあります。それは、自分の中に輝くもの・仏種を持ちながらそれに気付かないでいること。ごく普通で未開墾で目立たない存在の中で自然に具わっている内なる無意識の輝きです。自分には手の届かないと思える高貴な輝きを、その存在の奥底から真っ直ぐに照り返してくる光、それが賢治がこの物語でもいう「ほんたうのひかり」「ほんたうの力」というものなのです。次回に改めて説明しますが、それは法華経の本化の地涌の菩薩の仏性・仏種です。
物語の核心というべきものが、すでにこの人物設定に見えます。そして、作者の堅固な地涌の菩薩達への讃歎が、物語の中で冥界と現世、現世とユートピア、俗なるものと気高きもの等の一切の境界を見事に取り払うことに成功しているのです。
トリプルスタンダード
さて、『銀河鉄道の夜』という作品がどうやら法華経の説く宗教世界に裏打ちされていることが少し見えて来ました。以前に〝この論考では細部の描写に入らないで、作品に流れる大きな構造を示したいが、美しい絵画が絵の具の一筆ごとの筆致によって織りなされているような賢治の作品を知るには、どうしても細部の説明が必要になる〟と述べました。この物語の法華経による救いの理想世界・大曼茶羅に顕された世界を示すには、この物語全体を包んでいる西洋文化、キリスト教世界と、日蓮主義・法華経の世界を賢治がどのように受容し融合させていたかを知る必要がありそうです。
ジョバンニという名前から辿った三つの無意識の仏性、キリスト教では何でしょうか、神に愛されるものでしょうか、そういった内なる輝きを持つ登場人物。実は、ここにもう一人の〝ジョバンニ〟がいます。親友カンパネッラです。この連載のはじめにカンパネッラの名前のイメージはルネサンス後期にユートピアを説いて異端とされ三十二年間投獄された修道僧トンマーゾ・カンパネッラ(一五六八~一六三九)を連想させると書きましたが、このカンパネッラの幼名はジョヴァンニ・ドメニコといいます。その著作『太陽の都』は賢治も中学時代に傾倒した哲学者・思想家・作家・詩人にして新ピューリタニズム者であるエマソン(一八〇三~一八八二)の思想とともに日本に紹介されました。新しい世界、近い将来に実現されるべきユートピア像は、どんなに当時の日本の若者や思想家の魂を突き動かしたことか。
話題が少々わき道にそれますが、物語の冒頭「午後の授業」や「ジョバンニの切符」で語られるジョバンニの〝僕の先生〟のモデルはエマソンのようでもあり田中智学居士のようでもあります。エマソンは〝コンコード(マサチューセッツ州)の哲人〟と呼ばれ、これは物語の「鷲の停車場」の描写や停車場に静かに流れる新世界交響曲のイメージに重なります。この物語には、古代ギリシア・西洋・東洋・仏教・キリスト教などの真の生命世界をめぐるイメージがダブルあるいはトリプルスタンダードに織り込まれて物語がかたち作られているようです。〝読者は出来ればそれに気づかず物語に入って無意識の内にその仏性が胎動を始める、そうした無垢の仏性を社会にたくさん解き放ちたい〟これが賢治の〝童話〟創作への意欲の源だったのかもしれません。
太陽の都
カンパネッラの描く理想国家〈太陽の都〉はプラトーンやトーマス・モアの描く、空中庭園的ユートピア国家ではなく、近い将来それが実現可能なものとして語られ、予言されます。『太陽の都』は刊行当時「政治学付録」の別タイトルが付けられていて、これが〝政治的警句集〟の中に入っていたといいます。ある修道士が理想の共和国を見聞してきたジェノバ人の船乗りの問答形式です。それでは『銀河鉄道の夜』に関係すると思われる〝都〟の構造です。
町の大部分は、ある大平原に聳える丘の上に建設されています。都は七つの環状地帯に分けられていて、その一つ一つに七つの惑星の名前が付けられています。そしてこの環状地帯を東西・南北に道が貫いています。丘の上には平地があって、そこには円柱で囲まれた神殿があります。カンパネッラは「イエス・キリストは立派な人間であり…そして神といわれるものとは全然違う。神とは自然を除いては存在しない」と語ったとされていますが、「その神殿の神への奉仕は太陽という象徴を通してのみおこなわれる」とされています。神はこの世界の造物主、無からこの世を作り、太陽と星を生きているもの・神の姿・天の神殿としてあがめますが、礼拝しているわけではないといいます。神官達は天を神殿にたとえ、太陽の中に神を考えて祈ります。そして、神の生きた家である星の中に住む善良な天使達を神と人間の仲介者と呼びます。地球はあたかも一匹の巨大な獣で、われわれ人間は人体に巣く喰う寄生虫のように、その体の中にいるのである、とされています。
彼らは霊魂の不滅を信じており、死後の霊魂については「地獄にも煉獄にも天国にも行かない」とされ、住民は行いに応じて輪廻転生するとされます。都の主権者は祭司を共に司り、その下に三人の高官がそれぞれ力と智と愛を支配し、彼らは自分より優れた人物が出現すると、ただちに喜んで地位を譲ると書かれています。「王国を有する者即ち王に非ず、統治のできる者即ち王なり」などともあります。
当然、当時のキリスト教カソリックからこうした見解は異端とされました。岩波文庫からも翻訳版が刊行されていますので、興味のある方は原文訳にふれて下さい。『銀河鉄道の夜』の星祭りの広場、天気輪の丘、列車に乗ってめぐる天の川左岸の星々の星座の村のイメージや、「サウザンクロス」到着前に交わされるキリスト者の青年やかおる子の間の「ほんたうの神」をめぐる論争に〝太陽の都〟が重なります。
カンパネッラの活動的思想家としての多くの部分はこの著以外の詩篇にあらわれていると言われます。賢治がこの著作に出会う前に傾倒していたエマーソンもまた、みずからは詩人としていました。賢治の考える詩人像とエマソンとは行動においても発言においても類似しています。
エマーソンはこう言いいます。「全宇宙には唯一絶対の大霊が存在しており、人間の住む世界はこの大霊の部分的な現れに過ぎず、真の実在ではない。いかなる個人も仮の姿をとっているに過ぎず、キリストもこの大霊の現れのひとつの例である…いかなる個人も心の奥底では大霊に繋がっているということで個人を尊重していこうとする…個人が心の奥の大霊の導きに従うところに真の生き方を見出す…」
このエマソンの言葉は、賢治が生涯にわたって信仰した法華経の一念三千や三千大千世界の世界観、それを統べる本仏の姿、また実践においても日蓮主義信仰の中核ともいえる本化地涌の菩薩の使命の自覚を促す教学と重なります。即ち、賢治にとって童話創作は、法華経寿量品の教えを範として〈誤って毒を飲み本心を失い悩む人々に世界の薬草を和合した美味しい良薬で〝ほんたう〟へ導く〉の方便でもあったのでしょう。
(6)鳥捕りの人は夏の大三角形の真ん中にある「こぎつね座」
世界中の良薬を包んで
先回は、この物語の重要な登場人物カンパネルラをめぐるイメージとして、後期ルネサンス期の修道僧トンマーゾ・カンパネッラの『太陽の都』のユートピア世界、そしてジョバンニ達の学校の先生のモデルとして、アメリカの哲学者・詩人のエマソンも考えられることを見てみました。そして、主人公ジョバンニ、それを揶揄するザネリ、主人公達が疎んじてしまった鳥捕りの男の三者に共通する〈自分の中に輝くもの・仏種を持ちながらそれに気付かないでいること〉、それが末法の私たちの仏性・仏種のごく自然な姿で、それは法華経の地涌の菩薩、また本化という考えかたと関連する、それについては後に説明する、としました。
さて、末法の、私たちや世界中の人々が〝何者か〟ということは古くから種々に考えられ、法華系の教学の中でも、地涌の菩薩なのだとか、いや我らは仏子だが地涌の菩薩や本化の菩薩でもなく…、など諸立場があり、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑や」とある『諸法実相抄』が真筆なのか云々など専門は喧しいのです。
今は、こうした煩雑な説明は後のブロカニカ博士(決定稿・第四稿以前)の項に残し、賢治にとって童話創作はどのような意味や目的を持っていたのか、ということに絞ります。
さて、先号では、この物語には、古代ギリシア・西洋・東洋・仏教・キリスト教などの真の生命・世界をめぐるイメージがダブルあるいはトリプルスタンダードに織り込まれている。読者は出来ればそれに気づかず物語を味わい、いつの間に自然に菩薩の心が胎動を始める。そうした無垢の仏性を社会に解き放つ、それは法華経寿量品の「誤って毒を飲み本心を失い苦しむ子供たちにあらゆる薬草を和合した味佳き良薬を飲ませる如来の方便の文学上の実践」だったと結びました。その続きです。
童話創作=法華世界開顕文学
賢治が傾倒した田中智学居士は『世界統一の天業』(明治36年)に、
「本化の大教は即ち日本国教にして、日本国教は即ち世界教なり」(日露戦争当時の講演)と述べていますが、賢治の童話にも、法華経と響き合う全世界の〝ほんたう〟を和合するといった、似た領解が存在します。
関連する資料です。大正十年、賢治(25歳)が国柱会の門を叩き、その時出会った高知尾智耀氏の『わが信仰わが安心』から「法華文学の創作」項を引用させて頂きます。
その間に私はしばしば賢治に会って信仰談を交わしたが、その時の私の話がもとになって、賢治が法華文学の創作に志したということは、帰寂の後になってはじめて私もこれを知った。
それは彼の原稿などの入っていたトランクのふたの裏のポケットから、一冊の手帖が出てきた。その手帖の中にこういうことばがある。
高知尾師ノ奨メニヨリ
法華文学ノ創作
名ヲアラハサズ
報ヲウケズ
貢高ノ心ヲ離レ ※おごりたかぶり
私には法華文学の創作をすすめたという明確な記憶はないが、いろいろ信仰上の意見を交換した中には、当然私が田中智学先生から平素教えられている、末法における法華経修行のあり方について、熱心に話したことと思う。すなわちいわゆる出家して僧侶となり仏道に専注するのが唯一の途ではない、農家は鋤鍬をもって、商人はソロバンをもって、文学者はペンをもって、各々その人に最も適した道において法華経を身によみ、世に弘むるというのが、末法における法華経の正しい修行のあり方である、詩歌文学の上に純粋の信仰がにじみ出るようでなければならぬ、ということを話したように思う。
日蓮主義への熱き思い、本化の菩薩の使命への帰依、しかし、己や人々にその自覚を促すのは教学や僧道布教だけではない。賢治にとって童話創作は即ち〝各々その適した道において法華経を身によみ、世に弘むるが、末法における法華経修行〟、賢治にとって童話創作や農村の実践が法華経の修行だったのでしょう。
常不軽菩薩と無数の菩薩
さて、ごく普通で未開墾で目立たない存在の中に自然に具わっている内なる無意識の輝き、自分には手の届かないと思える高貴な輝き、それを瞳の奥から真っ直ぐに照り返す光。その悲しみ、切なさ、必死の願い、それが賢治の他の童話にも度々登場する「ほんたうのひかり」「ほんたうの力」が顕れた姿でしょう。
「雨ニモマケズ」に込められた菩薩行。〝己を取り巻く人々もまた菩薩〟とデクノボー・常不軽菩薩が礼拝した人の仏性は礼拝をしたその者自身の菩薩行でもあり、末法の好機に成就する。未だ真実の姿に目覚めていない無数の菩薩たちにエールを贈る構想。賢治は他の作品にも、こうした構想をそっと込めました。
鳥を捕る〝狐〟
今まで、主人公であり作者の投影であるジョバンニ、揶揄するザネリ、疎ましい鳥捕り、この物語では未開顕の仏性として掲げたその三人に関するイメージを考えて来ましたが、鳥捕りに関してはザンニの仮面が鳥の顔のようだという連想の提示のみでしたので、別の要素を示します。
さて、この鳥捕りの男は、琴座のベガ、はくちょう座のデネブ、鷲座のアルタイルから形作られる夏の大三角形の真ん中にある暗い星座「こぎつね座」です。男が乗車して来るのは北十字つまり、白鳥のステーション付近のプリオシン海岸を散策し列車に戻った後。また、男が居なくなるのは鷲のステーション到着前です。男は夏の大三角形の中にある星座。そして琴座のベガすなわち織姫星と鷲座のアルタイルすなわち牽牛星の間に架かる七夕の「鵲の橋」の鳥などを捕って遊んでいます。
「ここへかけてもようございますか」 がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。それは、茶いろの少しぼろぼろの外套を着て、白い巾でつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛けた、赤髯のせなかのかがんだ人でした。
「ええ、いいんです」ジョバンニは、少し肩をすぼめて挨拶しました。その人は、ひげの中でかすかに微笑いながら、荷物をゆっくり網棚にのせました。ジョバンニは、なにか大へんさびしいようなかなしいような気がして、だまって正面の時計を見ていました…(略)。
〝茶いろの外套〟〝赤髯のせなかのかがんだ人〟は狐のイメージ。
ヨーロッパの星座ではこぎつね座の絵は口に鳥をくわえています。
この人が捕ってきて披露する雁や鷺や白鳥は異界へ渡る死者の魂の象徴、いわば幻です。ジョバンニに「お菓子だ」と言われ大変慌てますが、その菓子の正体は「落雁」、お盆に仏壇に供える〝お供え〟かも知れません。ちなみに、賢治の弟・清六氏も買いにきたという菱川菓子舗の花巻駄菓子の落雁があるとのことでしたが、二年前に閉店していました。
鳥捕りは二十疋ばかり、袋に入れてしまうと、急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾にあたって、死ぬときのような形をしました。と思ったら、もうそこに鳥捕りの形はなくなって、却って、「ああせいせいした。どうもからだに恰度合うほど稼いでいるくらい、いいことはありませんな」というききおぼえのある声が隣りにしました。
さて、「兵隊が鉄砲弾にあたって死ぬときのやうな形」とは何でしょう。米地文夫氏は、花巻の隣町の後藤野(北上市和賀町後藤)で狐が集まって起こす蜃気楼が立つことがあり、後に開発され陸軍の練兵場になり、親分狐は兵隊の銃弾で倒れ、撃った兵隊も祟で死んで、蜃気楼も立たなくなったという当時の噂話を織り込んだものとしています。同氏はまた、「燈台看守」はヘラクレス座で、彼の持つリンゴは花巻が生んだリンゴ博士・島善鄰氏に重なるとされています。これは、次号に書きます。
さて、鳥を捕る人が鷲座すなわち、鷲の停車場に着く前に姿を消すこことからその性格は狐座の狐で、花巻の隣町の後藤野の狐の話が盛り込まれているという米地文夫氏の説を紹介しました。また鳥を捕る人と会話する灯台看守がヘルクレス座でそこに東北のリンゴ博士と呼ばれる島善鄰博士の姿が盛り込まれているという同氏の説があることを紹介しました。では、そのヘルクレス座について述べましょう。
ヘルクレス座は、こと座の一等星ベガとうしかい座の一等星アルクトゥールスの間にある大きな星座ですが三等星以下の暗い星で構成されています。この星座は賢治の住む花巻では夏の八時近くには天頂付近に見えたことでしょう。
ヘラクレス(星座名は一般にヘルクレス)はゼウスとペルセウスとアンドロメダの孫アルクメーネーとの子で、ゼウスの妻ヘラの憎まれ赤ん坊の頃から試練を受けます。ヘラクレスは強い勇者に成長し、やがてまだ誰も成し遂げたことのない「十二の冒険」を成し遂げます。この十二の冒険譚やヘラクレスの性格については太陽神イジュドゥバルの姿とその冒険譚と重なるといわれ、この太陽神、すなわち太陽の通り道が有名な「黄道十二星座」で、それが時を経てギリシア神話の〝ヘラクレスの十二功業〟の物語へと変化したものとされています。
さて、その十二の冒険の一つにヘスペリデスの園から金の林檎を採ってくることがあります。米地文夫氏は銀河鉄道の夜で灯台守が差し出す「黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」はヘラクレスが採ってきたリンゴ、物語の灯台看守は天の川の右側にあるヘルクレス座であろうとされています。星座絵では、ヘルクレス座は蛇のからみついたリンゴの枝を持っています。このリンゴの枝自体は地獄の番犬と言われる三つの頭を持つケルベルス座として十七世紀にヨハネス・ヘヴェリウスが作った星座のひとつでした。また「りんごのえだ座」 (Ramus Pomifer) と呼ばれたこともあるそうです。二十世紀に星座が整理された際に消えた星座の一つです。
銀河鉄道の夜では鳥を捕る人が消えた後に、氷山に船が衝突して遭難した三人の登場人物が列車に乗って来て灯台看守や主人公たちと会話が交わされるのですが、灯台看守の正体を述べる都合上、少し先の部分から関連部分を引用させて頂きます。「ジョバンニの切符」の章の後半部分からの引用です。
「いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう」
向うの席の燈台看守がいつか黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝の上にかかえていました。(中略)
「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は」
青年はつくづく見ながら言いいました。
「この辺あたりではもちろん農業はいたしますけれどもたいていひとりでにいいものができるような約束やくそくになっております。農業だってそんなにほねはおれはしません。たいてい自分の望む種子さえ播けばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィック辺のように殻もないし十倍も大きくてにおいもいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だって、かすが少しもありませんから、みんなそのひとそのひとによってちがった、わずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです」
さて米地文夫氏はまた、この灯台看守はまた東北が生んだリンゴ博士・島善鄰(しまよしちか)先生に重なるとされています。島善鄰は明治二十二年生まれ、八歳のとき稗貫郡矢沢村高木(現・花巻市)に移りります。大正五年に青森県農事試験場技師となりました。当時の津軽地方は、褐斑病のためりんごの生産は激減、農家の生活は困窮を極めていました。島は、荒涼とした津軽地方を一人で自転車で見て回り、「青森県苹果減収の原因及其救済策」を発表、対策の詳細を示し農家を救いました。
大正十二年にはアメリカから「ゴールデンデリシャス」の穂木を導入、その普及に努め、これは後に「ふじ」や「つがる」などの東北リンゴの主要品種が生まれます。
戦後、北海道大学学長退官と同時に、弘前大学文理学部の専任教授に移り、農学部の設置に向けて奔走した時、津軽のりんご生産者は、出荷するりんご箱一個につき,一円ずつ証紙を貼って寄附を募り、青森県その他の団体等も協力し、当時の金額で四千万円以上の基金が集まったといいます。
農事指導を試みた賢治も心から讃歎した理想の人格。勇者ヘルクレス座の手の黄金のリンゴの枝は博士が手がけた病気に負けない東北のリンゴの収穫、ヘルクレス座と灯台看守は、貧困に喘ぐ農家の成すべき道を照らした賢く穏やかな島善鄰博士に重なります。
引用文の「あなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません」以下の内容は、この列車に乗っている乗客が現世を離れた地に赴くことを賢い灯台看守の口を借りて現実的に示しています。
また、話が前後しますが先に述べたヘルクレスの十二の冒険が示す黄道十二星座、または黄道十二宮は季節や時間や方角を知る重要な役割を担ってきたもので、〝~の星の下に生まれた〟などと人の誕生に付随する宿命や予言、すなわち今日のいわゆる〝星座占い〟の源となっています。しかし古くは方角・時間、特に農耕の季節を知る天空の暦として用いられたもので、その意味からも農業の正しい道を照らす灯台看守・ヘラクレス・島善鄰博士が重ね合わされて描かれているのではないでしょうか。
さて、今回は紙数が少なく、この一項目のみに話をとどめます。次回は銀河鉄道の物語の終盤でさそり座の赤い星の由来として語られる「さそりの灯」の話しが、実際の星座の神話とは全く異なること、ではそのイメージの源泉は何かについて考えてみたいと思います。
さて前号まで、銀河鉄道に乗って来た鳥を捕る人、灯台看守について、それぞれ狐座、ヘルクレス座であろうことを考えました。
ここで少し物語の順番に整理して、今まで取り上げた銀河鉄道の夜の星座について振り返り、本連載を物語の流れに戻したいと思います。一方、本考察では出来るだけ細部の説明を省いて、物語の大きな構造、賢治が童話創作に終生取り組んだ理由について考察するとしましたが、今回は整理する意味を併せ、本連載の説明の順から漏れた重要なポイントと思われる点も示します。
「一、午后の授業」では先生は天の川について説明します。その先生は田中智学のようでありアメリカの哲学者にして詩人のエマソンのようです。いずれも人びとに正しい道・ユートピア(理想郷)を宣布する人。
「二、活版所」については未だこの連載では触れていませんが、賢治が東京で働いた印刷所のイメージと正しい教えの宣布にたずさわるという視点が考えられます。
「三、家」では、学校でラッコの上着についてからかわれたことを母に漏らす会話から、父が密猟者ではなくラッコの上着は贅沢品だったこと、からかうザネリはイタリアの古典農村仮面劇のザンニの性格や名が重なること。また、父が不在の子のイメージは寿量品の「良医治子」の喩えと重なることを考えました。
「四、ケンタウル祭の夜」では聖ジョバンニ祭や七夕、お盆の盆踊りや精霊流しとイメージが重なることを考え、ジョバンニがザネリのザンニの北部訛りでもあること、カンパネルラの名についてはルネサンス期、ユートピアを語り異端として三十年以上投獄され『太陽の都』を著したトマソ・カンパネッラがあげられることを考えました。
ちなみに聖ジョバンニ(洗礼者ヨハネ)と同じくイタリアでお祭が行われ、名前が似ている聖人にシチリアのラグーザで六月にお祭りが行われるサン・ジョルジョもいますが、これは別人。名前や固有名詞にとらわれ辻褄合わせに固執すると、思わぬ迷路や誤りに導かれやすいことは注意すべきです。サン・ジョルジョ(フランス語=聖ゲオルギウス)は、四世紀頃のカッパドキアの伝説的聖人。リュディアを旅行中、悪竜の犠牲に選ばれ水辺に繋がれている王女を発見し、槍と剣で竜を倒して王女を救ったと言われる聖人で。ヘラクレスのヒドラ退治とイメージも重なりますが、列車に乗ってくる人物でヘラクレス座と考えられる灯台看守の性格とも関係は無いようです。
「五、天気輪の柱」の項では、賢治の詩「五輪峠」をあげました。
◆補足 春と修羅とこの物語
「六、銀河ステーション」。以後は天空・冥界の旅です。丘の上の天気輪の柱、銀河鉄道に乗車した「銀河ステーション」は琴座のベガ。琴座はオルフェウスの琴で七夕の織姫星。冥界と現世、川による別離のイメージが重ねられていました。
ここで二点の補足を加えます。
一つは天気輪の柱のある丘で主人公が横たわる夜の「冷たい草」は釣鐘草とする説があること(釣鐘草の学名が「Campanula」であるから)。釣鐘草は『春と修羅』第二集に「白装束の人々がなだらかな岩道を登ってくる。黙々と息を切らしながら登ってくる 旱の今年の苦労を終えて、蚕の夏場の仕事も終えて、お盆の今、拝むためにこの早池峰に登ってくる。釣鐘草、いわかがみ、こけもも、うめばちさう、濃い青のはい松。風に揺れる花々と岩の間に信仰の人々が登ってくる」とあり、天気輪の柱や「五輪峠」も連想させます。
もう一つはこの物語関連が深い詩「薤露青」の存在。これも先の『春と修羅』第二集収録の詩ですが、この詩が作られたのは七月と八月のお盆の送り火の頃です。「薤露」とは「人の一生は薤の葉っぱに宿る白露の光のように儚いもので、消えやすい」という言葉で、漢の時代、武勇の師の死を悲しみあとを追った門人の歌に使われた語で、葬送の挽歌のイメージ。この詩は銀河鉄道の夜の構想やモチーフと関連が深く「ケンタウルス露を降らせ」のケンタウロス座のケイロンは人の生死を分ける医術の人馬神で、〝露を降らせ〟の露は先の「薤の露」でしょう。関連部分を適宜引用させていただきます。
《春と修羅第二集より/関連部分引用》
一九二四、七、一七 「 薤 露 青 」
みをつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青の聖らかな空明のなかを
たえずさびしく湧き鳴りながら
よもすがら南十字へながれる水よ
(略)
みをつくしの影はうつくしく水にうつり
プリオシンコーストに反射して
崩れてくる波は
ときどきかすかな燐光をなげる
(略)
水よわたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ
そこには赤いいさり火がゆらぎ
蝎がうす雲の上を這ふ
(略)
南からまた電光がひらめけば
さかなはアセチレンの匂をはく
水は銀河の投影のやうに地平線までながれ
灰いろはがねのそらの環
あゝ いとしくおもふものが
そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
なんといふいゝことだらう
かなしさは空明から降り
黒い鳥の鋭く過ぎるころ
秋の鮎のさびの模様が
そらに白く数条わたる
※澪標=川辺の航路を示す杭の標識(以下略) 次は、八月盆送り火の頃の詩です。
一九二四、八、一七 「北いっぱいの星ぞらに」
北いっぱいの星ぞらに
ぎざぎざ黒い嶺線が
手にとるやうに浮いてゐて
幾すぢ白いパラフィンを
つぎからつぎと噴いてゐる
(略)
Astilbe argentium(銀のアチスルベ)
Astilbe platinicum(プラチナのアチスルベ)
いちいちの草穂の影さへ落ちる
この清澄な昧爽ちかく
あゝ東方の普賢菩薩よ
微かに神威を垂れ給ひ
曾つて説かれし華厳のなか
仏界形円きもの
形花台の如きもの
覚者の意志に住するもの
衆生の業にしたがふもの
この星ぞらに指し給へ
①=夜明けの薄明かり (以下略/引用了)
いかがでしょうか。銀河鉄道の夜の物語の下図ともいえる詩といってもいいものです。ちなみに「銀のアチスルベ」「プラチナのアチスルベ」は僧侶が持つ払子に野のアチスルベの白い花を見立てたものでしょうか。
さて、次に「七、北十字とプリオシン海岸」。最初に銀河鉄道の列車が停車する「白鳥のステーション」は北十字すなわち白鳥座の中心で、アルビレオの観測所は白鳥の嘴付近の二重星アルビレオ。川に落ちた友を探す親友キグナスの手に握られた灯火であろうことを示しました。
今回も紙数が尽きました。次号では「プリオシン海岸」、すなわち、花巻の「イギリス海岸」、羅須地人協会のことなどを考えてみます。
前号までの解説の順なら、銀河鉄道の列車の路線に沿って、この連載は夏の夜空を代表する夏の大三角形を通り、この後、大三角形の三つ星の一つアルタイルに代表される鷲座、鷲の停車場に到着するのですが、必要な補足点もありますのでもうしばらく周辺を散策します。
「プリオシン海岸」
今回は「プリオシン海岸」と花巻のについて考えます。初めに物語からごく簡単にあらすじを示しておきましょう。
七、北十字とプリオシン海岸 北十字の前を通った後、白鳥の停車場で二十分停車する。二人はその間にプリオシン海岸へ行き、クルミの化石を拾う。そこでは五六人の人かげが、何か掘り出していて大学士が牛の祖先の化石を発掘しているのだと言う。「もう時間だよ。行かう」とカムパネルラ。二人は、ていねいに大学士におじぎして列車に駆けもどりました。
プリオシンとは地質年代の一つで、第三紀鮮新世のこと。賢治は花巻にも英国のドーバー海峡にある鮮新世の白亜の海岸のごとき真っ白な地層が露出した河畔を見つけ「イギリス海岸」と呼んでいました。河川改修で今は北上川と瀬川の合流点になり、往時と風景は異なるそうですが、賢治は花巻農学校の教員時代に学校からほど近いこの河畔にしばしば生徒と訪れ、水泳や化石探しなど、楽しくすごした場所でした。銀河鉄道のプリオシン海岸は、このイギリス海岸のイメージに天の川を重ね構想されたものと考えられます。
さて、前号で『春と修羅』第二集中の「薤露青」という詩が物語と重なることを示しました。
詩には「みをつくしの列をなつかしくうかべ/薤露青の聖らかな空明のなかを/たえずさびしく湧き鳴りながら/よもすがら南十字へながれる水よ/みをつくしの影はうつくしく水にうつり/プリオシンコーストに反射して/崩れてくる波は/ときどきかすかな燐光をなげる」とあるように、この河畔から眺める北上川は南へ流れ、〝夜もすがら南十字に流れる〟天の川と重なります。また「イギリス海岸」という教員時代の短編随想の内容はこの物語と随所で重なります。関連のあると思われる部分に傍線を引き、内容が重なる要点を示しつつ抄録してみましょう。
宮沢賢治随想「イギリス海岸」抄録
推定大正十一年八月九日稿
・北上河畔をめぐる描写=プリオシン海岸
夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処がありました。(略)それは本たうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした。東の仙人峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截って来る冷たい猿ヶ石川の、北上川への落合から、少し下流の西岸でした。(略)日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひゞ割れもあり、大きな帽子を冠ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白亜の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。(略)それに実際そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです。なぜならそこは第三紀と呼ばれる地質時代の終り頃、たしかにたびたび海の渚だったからでした。(略)ある時私たちは四十近くの半分炭化したくるみの実を拾ひました。(略)この百万年昔の海の渚に、今日は北上川が流れてゐます。昔、巨きな波をあげたり、じっと寂まったり、誰も誰も見てゐない所でいろいろに変ったその巨きな鹹水の継承者は、今日は波にちらちら火を点じ、ぴたぴた昔の渚をうちながら夜昼南へ流れるのです。こゝを海岸と名をつけたってどうしていけないといはれませうか。それにも一つこゝを海岸と考へていゝわけは、ごくわづかですけれども、川の水が丁度大きな湖の岸のやうに、寄せたり退いたりしたのです。それは向ふ側から入って来る猿ヶ石川とこちらの水がぶっつかるためにできるのか、それとも少し上流がかなりけはしい瀬になってそれがこの泥岩層の岸にぶっつかって戻るためにできるのか、それとも全くほかの原因によるのでせうか、とにかく日によって水が潮のやうに差し退きするときがあるのです。(略)
・水馬演習=銀河の信号手をめぐる会話
「あゝ、騎兵だ、騎兵だ。」誰かが南を向いて叫びました。(略)下流のまっ青な水の上に、朝日橋がくっきり黒く一列浮び、そのらんかんの間を白い上着を着た騎兵たちがぞろっと並んで行きました。馬の足なみがかげろふのやうにちらちらちらちら光りました。それは一中隊ぐらゐで、鉄橋の上を行く汽車よりはもっとゆるく、小学校の遠足の列よりはも少し早く、たぶんは中隊長らしい人を先頭にだんだん橋を渡って行きました。「どごさ行ぐのだべ」「水馬演習でせう。白い上着を着てゐるし、きっと裸馬だらう」「こっちさ来るどいゝな」(略)
・賢治=二人の姉弟を連れ海に入った家庭教師
(腕に赤いきれを巻き、はだかに半纒だけ着てみんなの泳ぐのを見てゐるどこか滑稽な)救助係はその日はもうちゃんとそこに来てゐたのです。腕には赤い巾を巻き鉄梃も持ってゐました。 「お暑うござんす。」私が挨拶しましたらその人は少しきまり悪さうに笑って、「なあに、おうちの生徒さんぐらゐ大きな方ならあぶないこともないのですが一寸来て見た所です」と云ふのでした。なるほど私たちの中でたしかに泳げるものはほんたうに少かったのです。 おまけにあの瀬の処では、早くにも溺れた人もあり、下流の救助区域でさへ、今年になってから二人も救ったといふのです。 実は私はその日までもし溺れる生徒ができたら、こっちはとても助けることもできないし、たゞ飛び込んで行って一緒に溺れてやらう、死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらうと思ってゐただけでした。(略)
・化石探しの案内=烏瓜流しに行く相談
「先生、岩に何かの足痕あらんす」 白い火山灰層のひとところが、平らに水で剥がされて、浅い幅の広い谷のやうになってゐましたが、その底に二つづつ蹄の痕のある大さ五寸ばかりの足あとが、幾つか続いたりぐるっとまはったり、大きいのや小さいのや、実にめちゃくちゃについてゐるではありませんか。(略)次の朝早く私は実習を掲示する黒板に斯う書いて置きました。(略)「八月八日(略)午后イギリス海岸に於て第三紀偶蹄類の足跡標本を採収すべきにより希望者は参加すべし」。 丁度この日は校長も出張から帰って来て、学校に出てゐました。黒板を見てわらってゐました、それから繭を売るのが済んだら自分も行かうと云ふのでした。海岸の入口に来て見ますと水はひどく濁ってゐましたし、雨も少し降りさうでした。(略)いつか校長も黄いろの実習服を着て来てゐました。そして足あとはもう四つまで完全にとられたのです。
(引用了)
「死の向こう側まで一緒」
前号では、賢治が「イギリス海岸」と名付け、『銀河鉄道の夜』創作においての舞台の題材とした花巻の北上川畔について、花巻農学校時代の短編『イギリス海岸』を引いて物語との関連を示しました。
イギリス海岸は「プリオシン海岸」として物語に登場します。また、この農学校時代の回想は随所で 『銀河鉄道の夜』の描写に重なっていました。特に、子どもたちを連れてイギリス海岸に行った思い出として、川で溺れる者が出たときの賢治の思いが語られていますが、これはこの物語の中心的展開である親友カンパネルラが川で溺れるというストーリーに重なります。
「もし溺れる生徒ができたら、こっちはとても助けることはできないし、たた飛び込んで行って一緒に溺れてやらう、死の向こう側まで一緒について行ってやらうと思っていただけでした」
この回想・描写は「九、ジョバンニの切符」で北の海で遭難して、姉弟といっしょに列車に乗車してきた家庭教師の言葉に重なります。このモデルは賢治が中学生の時の世界的大事件タイタニックの遭難です。
当時十六歳の賢治も、少しでも多くの人を救うため犠牲になった船員たち、乗客を励まし続けた楽隊の人たちの姿など、新聞や雑誌に紹介された救助された生存者の体験談に感動したことでしょう。こうした思いが「イギリス海岸」の〝ただ飛び込んで行って一緒に溺れてやらう〟〝死の向こう側まで一緒〟という文にもあらわれています。自分の生死を分ける極限状態で、普段はごく普通の人たちがここまで他のために尽くすことが出来るのか。法華経の教えでは地涌の菩薩の姿。普通の存在の中に自然に具わっている内なる無意識の輝き、自分には手の届かないと思える高貴な輝きが危機にあって耀き出す。
遭難した船から来た家庭教師は敬虔なキリスト教徒として描かれています。しかし実はこの部分にも、物語を法華経の世界に重ねる賢治の構想が存在します。前号の「イギリス海岸」と同様に、関連のあると考える部分を傍線を付し、要点を横に細字で示しつつ抄録させていただきます。
「いえ、氷山にぶっつかって船が沈みましてね、わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発ったのです。(略)船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾むきもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かったのです。ところがボートは左舷の方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫びました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈って呉れました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押おしのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気のようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸もちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟してこの人たち二人を抱いて、浮べるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰が投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑ってずうっと向うへ行ってしまいました。私は一生けん命で甲板の格子になったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく〔約二百字程度の空白・賛美歌などの描写と思われる〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのとき俄大きな音がして私たちは水に落ちもう渦に入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年没なくなられました。ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕いですばやく船からはなれていましたから。」
そこらから小さないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼が熱くなりました。
(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込こんでしまいました。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」
燈台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです」
青年が祈るようにそう答えました。(以上引用・了)
賢治が〈高知尾師ノ奨メニヨリ/法華文学ノ創作 /名ヲアラハサズ/報ヲウケズ〉と法華文学を志す出会いとなった国柱会の高知尾智耀は『日蓮主義新講座』十一号に、
「如何に日蓮主義の宗教を広宣流布しても、世の中にはいろいろな宗教があり、各々の教理を金科玉条と信じているのである。かつ帝国憲法は信教の自由を許しているのである」と、〝日蓮主義による国立の戒壇が議会を通過することは今は困難に見えるが、それは世界人類が一つの正しい宗教に帰入することが出来ないという理由ではない〟として、
「かくの如く地上の楽土は空想にあらずして現実の事業として建設せらるべきである(略)その願業の為に生き働く。これ以上の生き甲斐のある人生、意義のある人生はあるべからざるのである」と楽土建設の夢を述べている。
人々が各々その宗教を大切に信じている世界に法華文学の力が働き、いつしか気付かないうちに、あらゆる宗教を包み込んで法華経に導く作品。『銀河鉄道の夜』は、そうした楽土建設への夢が蔵されていると思えます。
◆〝法華文学ノ創作〟
「もし溺れる生徒ができたら、こっちはとても助けることはできないし、たた飛び込んで行って一緒に溺れてやらう、死の向こう側まで一緒について行ってやらうと思っていた」
前回は賢治のイギリス海岸に生徒を連れていった思い出を記した短編『イギリス海岸』のこの描写を掲げ、それが『銀河鉄道の夜』の描写と重なっていることを見ました。該当部分は「ジョバンニの切符」の章で、海難事故(タイタニック号遭難)の犠牲者の幼い姉弟を伴って乗車してきた家庭教師の青年の次の言葉でした。
「…私はもうすっかり覚悟してこの人たち二人を抱いて、浮べるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました」
青年の話を聞いていた灯台守が行ないを賛じます。自己犠牲を経験した三人の新たな乗客、物語の内容は賢治がこの物語で描きたかった「ほんたうの幸福」についてすすんでいきます。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」
人々が各々その宗教を大切に信じている世界に法華文学の力が働き、いつしか気付かないうちに、あらゆる宗教を包み込んで正しい教え(法華経)に導く、賢治が〈高知尾師ノ奨メニヨリ/法華文学ノ創作 /名ヲアラハサズ/報ヲウケズ〉と法華文学を志す出会いとなった国柱会の高知尾智耀や田中智学の熱く説く、世界楽土建設への夢がこの作品には蔵されているのです。
今まで見てきたように、『銀河鉄道の夜』の物語は世界の宗教や神話がトリプルスタンダードに融合して織りなされています。今回は少し物語は進みますが、「ほんたうの幸福」のテーマが出たところですので、北の海で遭難した三人、家庭教師の青年、姉弟(かおる子・タダシ)の台詞の中に、イメージの融合の要素を見てみましょう。
◆蠍の火・赤い星
一行がさそり座の赤い星を見た時の姉のかおる子の印象的な台詞があります。その部分を次に引用させていただきます。
「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さんこう言ったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蠍がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見つかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命にげてにげたけど、とうとういたちに押えられそうになったわ。そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ。もうどうしてもあがられないで、さそりはおぼれはじめたのよ。そのときさそりはこう言ってお祈りしたというの。
ああ、わたしはいままで、いくつのもの命をとったかわからない。そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかいください。って言ったというの。
そしたらいつか蠍はじぶんのからだが、まっ赤なうつくしい火になって燃えて、よるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さんおっしゃったわ。ほんとうにあの火、それだわ」。
引用の冒頭に近い部分に「バルドラの野原」という言葉があります。この「バルドラ」とは何かということについて、様々な説もありますが、今まで妥当と思えるものに出会っていません。では、この地名あるいは「名詞+野原」と思われる表現中の「バルドラ」は造語なのでしょうか。この物語には文化・宗教などのイメージが巧妙に織り込まれていることから考えても、賢治がこの重要な部分に単独の固有名詞を作ったとは思えません。
そこで星座のイコノロジーから考えて見ることにしました。赤い星・さそり座の一等星アンタレス、「アンタレス」という名は、元は「アンチ・アレス(火星)」、すなわち「火星に対抗するもの」という意味だから、戦いの神に対向する平和を意味する言葉に「バルドラ」という語感の語があるかと探したわけですが、どうやら妥当な語は見当たりません。次に賢治が取り組んだエスペラント語について同語感のものを探すも収穫無し。
◆〝バルトロ氷河〟説
国会図書館で検索し、雑誌論文目録に「『銀河鉄道の夜』の固有名詞の源泉─バルドラ、ブロカニロ」(定方 晟『東方』25号)を見つけました。
〈バルドラはカラコルム山中の氷河の名バルトロ(Baltro)をもじったもの〉とあり、賢治も大いに関心を寄せていたであろうヘディンの書に紹介されているから賢治の耳目に接し、魅力あるイメージを提供しえた、という。 ヘディン探検隊の西域探検(或は陸軍軍人日野強少佐『伊犂紀行』もある)が明治中期という、時代の符号や西域の仏教文化に賢治が関心を寄せていたことなど、妥当と思われる点もある。
しかし、夏の夜空で印象的なさそり座のイメージや物語との密接なイメージの連鎖が希薄、賢治が『伊犂紀行』にも記載の無いバルトロ氷河を知り得たか、高山にもサソリは生息するが、氷河やイタチなど、違和感がある。◆〝星の巡礼〟の道
さらに、考え得るアルファベット表記で世界の地名や名詞を検索する。「星降る野・サンティアゴ」と呼ばれるサンチャゴ・デ・コンポステーラ近郊、「星の巡礼の道」に沿ったスペインガリシア州の「バル・ド・ドゥブラ」という町の名に辿り着いた。聖地サンティアゴ・デ・コンポステラ。サンティアゴは十二使徒中最初の殉教者セイントヤコブ、デは定冠詞、コンポは野原、ステラは星、つまり「星の野の聖ヤコブ」という意味。また、聖ヤコブ、デ=の、コンポステーラはラテン語で「墓廟(compositum)」の意味で「ヤコブの墓廟」の意味とする。こちらが地名の語源としては有力という。
聖ヤコブが首をはねられたのは三月二十五日、遺体は七月二十五日に、スペイン北西端の町、コンポステラに移され、十二月三十日に埋葬されたとされている。伝承によると、この地に運ばれたヤコブの遺体を埋葬した墓は、サラセン人の侵入で所在がわからなくなっていたところ、八一三年、この野原のうえに星がひとつあらわれ、その星に導かれ、この地の野原の端にあった洞窟にヤコブの墓が見つかり、アルフォンソ二世が教会を建てた。この地は聖ヤコブ崇拝の中心地となる。やがて十二世紀にトルコ軍の侵入によってエルサレムへの巡礼が危険になると、西ヨーロッパの信者にとって最も重要な巡礼地となった。「星の巡礼の道」の終着点として栄え、巡礼者たちは、ホタテ貝の貝殻(食器の代用)を首からぶら下げ、つばの広い帽子をかぶり、大きな外套に巡礼杖という装束で、「サンチャゴへの道」を歩いた。 スペイン側からピレネー山脈を越えたところにある、フランスのプエンテ・ラ・レイナからだけでも八百㌔もあり、二ヶ月以上を費やす巡礼の旅は今も多くの旅人を魅了してやまない。
「バル・ド・ドゥブラ」という語感が「バルドラ」と似ていること、星や信仰、殉教に関係する伝承のあることなど、可能性の一つとしても良いが、問題は賢治が「星の巡礼」の道に関心があったか、さらにサンティアゴ・デ・コンポステラを知る可能性はあるとしても、その近郊の沿道の都市の名前を知っていた可能性は先の「バルトロ氷河」以上に低い。
やはり以上の二説が掲げる語のイメージは、本稿で取り上げた星座や星々の伝承、東西文化がトリプルスタンダードに連鎖し物語を深めていたことに比べ、内容に融合・連鎖がない。この「バルドラ」の語にも何か鍵となるイメージがあろう。物語中の前後の記述を含め、次号でも考えましょう。
おとぎ話のような色彩
『銀河鉄道の夜』の星座をめぐる旅のいわば〝絵解き〟をしてまいりましたが、その中で最大の難関ともいえるのが、前回から解説をはじめました「バルドラの野原のサソリ」です。かおる子の話に登場するサソリはオリオンを倒したサソリ座の話とはまったく別の話です。また、その話は『銀河鉄道の夜』というこの物語の主題の中核をなす、生と死、ほんとうの幸福という、人間存在の彼岸の命題に導く重要な場面ですが、この「バルドラ」とは何か、今まで多くの論究がありますが明確な像は示されていません。
研究書も明確な像を呈示できない「バルドラ」という語。実は、本連載ではその答えと思われるものもやがて呈示できると思っています。
どうして賢治はサブリミナル的効果のみになるか、一歩間違えば自己満足に終始してしまいそうな〝絵解き〟困難なイメージをこの作品に込めていったのか、確認しておきましょう。
この作品は賢治の目指した〝法華文学ノ創作〟の目的を宿しています。物語の人物や事物やその名前は、そのほとんどが北上の河畔を映すがごとく広がる天の川周辺の星座の性格によって彩られ、死者の赴く天界への旅立ちの物語を描き出しています。
また、それら星座の特性で主要な登場人物などは東西文明の神話やキリスト教と仏教の物語のイメージを併せ持っています。すなわち、星座の神話・東洋(仏教)・西洋(キリスト教)の三者をそれぞれ物語の登場人物の姿や言葉にトリプルスタンダードに描く構想を持っています。
それは、田中智学や高知尾智耀が語る〈世界文明を統一する法華経の精神の宣布〉を賢治が文学・芸術の分野で行った〝法華文学ノ創作〟の目的を宿した、類例のない作業です。それはすなわち、如来寿量品の良医治子の喩えに示されている方法に従って意図を〝宿し〟つつ親しみやすい作品を描くこと。
父・釈尊の教えである良薬を、甘えて飲まない子どもたちに「諸の経方に依りて好き薬草の色香美き味の皆悉く具足せるを求めて、つきふるい和合して子に与えて服せしむ」ため、自分は今は亡く、この薬が私の唯一の遺言だと告げさせて薬を飲ませる。〝世の諸々の苦患を救う者〟如来の教化方法にならって、賢治は色香よく、読みたくなる、当時の日本人の憧れの西欧のおとぎ話のような色彩でこの物語世界を展開したのです。
かおる子の物話は法句経
「バルドラ」という語の謎について回答が示せると申しながら、焦らすようで恐縮なのですが、もうしばらく、かおる子が語るサソリの話の周辺を見ていきましょう。
かおる子はかつて父から聞いた話としてイタチに追いかけられて井戸に落ちたサソリの話をします。その話はサソリ座の勇者オリオンを毒針で刺して天の星座に昇ったサソリの話とはまったく別の話で、実はその素材は『法句経』の中の「黒白二鼠」という喩え話です。
アメリカの心理学者であり、哲学者であったウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』は明治末期に日本に紹介され脚光を浴びた書ですが、ここにトルストイの『わが懺悔』(明治十五年頃)の次の一節の引用があります。
東洋には、旅人が荒野で猛獣におびやかされる、という大へん古い寓話がある。
旅人は、猛獣から逃れようとあせって、水のない井戸に飛びこんでしまう。しかし、彼は、その井戸の底に、一匹の竜が口を開いて自分をむさぼり食おうと待ちかまえているのを見る。
そこで、その不幸な男は、猛獣の餌食にならないようにあえて井戸から出ることもならず、 竜に食べられないようにあえて底へ飛び降りることもならず、井戸の割れ目の一つから生えている野生の灌木の枝にすがりついた。手が疲れてきた、彼はやがてある運命に屈しなければならぬことを感じた。しかし、それでもなお彼はすがりついていた、すると、白い鼠と黒い鼠との二匹の鼠が、彼のぶら下がっている灌木のまわりをむらなくまわりながら、その根を噛み切っているのを見た。
旅人はそれを見て、自分がどうしても死なねばならぬことを知った。しかし、そうやってぶら下がっているいる間に、彼は自分のまわりを見まわして、灌木の葉の上に、数滴の蜜のあるのを発見する。彼は舌を伸ばして、それをなめてうっとりするのである。 (引用・了)
我が子や肉親の死にしばしば見舞われ「宗教に救済の可能性を見る状態になって」(手紙)己を捨てて神と人類に仕える決意をした時代のトルストイがいう「東洋の古い寓話」とは、途中からの展開は異なりますが『法句経』(正式名称は『法句譬喩経』)中の「黒白二鼠」 の喩話と思われます。
荒野(バルドラの野原)で猛獣(イタチ)に追われて井戸に落ち、そこで自らの死を悟るというあらすじの、かおる子が語る「サソリの火」の逸話と、この東洋の寓話は同型です。
時代状況から考えても賢治がジェイムズやトルストイの著作や『法句経』のいずれかに触発された可能性は高いと思います。
次号は『法句経』の文に当たり、その寓意とサソリの自己犠牲の誓いと法華経の薬王菩薩と薬上菩薩の前世譚との関連などを考えます。
「黒白二鼠」 の喩え
むかしのバルドラの野原に一ぴきの蠍がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見つかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命にげてにげたけど、とうとういたちに押えられそうになったわ。(九 ジョバンニの切符)
さて、前号から東西の文明・宗教のイメージが重なりあっているこの物語の「さそりの灯」について考えてきました。前号では、姉の「かおる子」が父から聞いたというサソリ座の話がギリシア神話のサソリ座の話ではなく、『法句譬喩経』の中の「黒白二鼠」 という譬喩の教えであろうという説があることをお話しました。そしてその話はロシアの文豪トルストイもまた『わが懺悔』の一節に〝東洋の話〟として引いているおり、それを紹介したのは、賢治の時代に脚光を浴びたウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』だったことを述べました。
この「黒白二鼠」 の話は人気があり『ダンマパダ』を基に『仏説譬喩経』、『維摩詰経』への注釈『維摩経義疏』、『雑宝蔵経』、『賓頭盧突羅闍為優陀延王説法経』など多数の経論に引かれています。ちなみにイエズス会が天正十九年に刊行した伝道書『さんとすの御作業』にもあり、これを平田篤胤も『本教外篇』に異国の話としてとりあげているということです。
それらはそれぞれ微妙に登場する動物などが違っていますが、残念ながらサソリとイタチの登場するケースはありません。では以下に「黒白二鼠」の喩話の内容を見てみましょう。義浄訳の『仏説譬喩経』からです。
あるとき、一人の旅人が曠野で一頭の悪象に襲われた。必死で逃げて、空井戸があるのを見つけ、脇に生えている木の根に掴まり、井戸の中に隠れた。ところがそこに黒と白の鼠が現われて、木の根を齧り始めた。また井戸の周囲には「四毒蛇」がいて旅人を狙っている。さらに下にも毒龍がいて食いつこうとしている。旅人は大いに恐れながら、掴まっている木の根を見ると、そこに蜜が垂れているのを見つけた。彼はその蜜を五滴舐めた。木が揺れて蜂が舞い上がり、旅人を刺した。また野火が拡がり、木を燃やし始めた。
これらはすべて譬喩である。曠野は無明長夜の喩であり、象は無常の喩である。井戸は生死の喩であり、木の根は命根の喩である。黒白の鼠は昼夜を表わし、四毒蛇は四大を、蜜は五欲を、蜂は邪思を、野火は老病を、また毒龍は死を表わす。ゆえに、人は常に生老病死を恐れ、五欲に呑み込まれるのを避けねばならない。
このお話はお釈迦さまが説法を聴聞に来た勝光王に「王よ、今日はそなたのために、人間はなぜ仏教を聞かねばならないのか、譬えをもって説こう。王よ、この旅人とはお前のことであり、この世のすべての者のことだ」と語られたものとあります。
荒野で恐しい猛獣に追われて井戸に落ちて這い上がれない。そして己の生の無常に想いを馳せ、苦悩の根本解決を求めて祈る姿は、確かに「かおる子」が語るサソリの話のベースになっていると思います。しかし、本当にそれだけでしょうか。
月の兎
どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さいって云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。
一方、サソリが自分の欲望の浅ましさを最期に悔やんで言う〝みんなの幸せのため私の体をお使い下さい〟という言葉は仏教説話(ジャータカ)の『雑宝蔵経』に説く次の話を想起させます。
帝釈天が狐と猿と兎との誠意を試そうとして、飢渇者に化けて食を乞うたところ、狐と猿は利口さを発揮して食物を探してきたが、兎は何も得ることができず、自分の体を焼いて食べてもらおうとしたため、帝釈天はその真心をほめ、兎を月世界へ送った。(月に昇った兎の話)
このお話は日本では『今昔物語集』巻五「三ノ獸行菩薩道菟焼身」の話、いわゆる月の兎のお話として広く知られています。
どうでしょうか、天に昇るまではいいのですが、サソリとイタチはどうなるのか、そして天の星座を巡る列車の旅には月が出ては星々の光は消えてしまうようにも思うのです。
身を灯して闇を照らす
それではここで、〈からだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるって〉という部分、供養した体が永い年月闇を照らすとういう着想が以下の法華経の文に基づいていることを星めぐりの列車の旅から外れたついでに示しておきましょう。
法華経の「薬王菩薩本事品」「妙荘厳王本事品」の薬王菩薩と薬上菩薩の本生譚です。まず、法華経の二十三章「薬王菩薩本事品」の内容です。
薬王菩薩の前世は、一切衆生喜見菩薩といい日月浄明徳如来の弟子だった。この仏より法華経を聴き、楽って苦行し、現一切色身三昧を得て、歓喜した喜見菩菩薩は仏を供養するため自ら香を飲み、身体に香油を塗り身を焼いて灯した。諸仏は讃嘆し、その身は千二百歳まで燃えたという。このめでたい出来事に天地は感動し、天は宝華を雨らし、地は歓喜をつたえて揺いだ。こうして命終して後、喜見菩菩薩はまた同じ日月浄明徳如来の国に生じ、浄徳王の子に化生して大王を教化した。再びその仏を供養せんとしたところ、仏が今夜に涅槃に入ることを聞き、仏より法と諸弟子・舎利などを附属された。喜見菩菩薩はその仏の入滅後、その仏の舎利を供養せんとして自らの肘を燃やし、七万二千歳にわたって灯となったという。この物語は後の二十七章「妙荘厳王本事品」に続き、雲雷宿王華智如来の出世時に、妙荘厳王と浄徳夫人に、浄蔵と浄眼の二子があって、浄蔵が今の薬王菩薩、浄眼が今の薬上菩薩のそれぞれの前世の姿で、王は二十四章「妙音菩薩品」に登場する華徳菩薩であることが明かされます。
薬王菩薩は薬上菩薩とともに法華経を説く釈迦如来の脇侍として祀られていますが法華経の持経者を護る菩薩です。仏を供養して燃やした身が「千二百歳まで燃えた」、肘が「七万二千歳」にわたってこの世を照らしたという途方もない話ですが、〈やみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるって〉という「かおる子」が語るサソリの火の話はこの経文によるものと思われます。夜空に赤く輝くサソリ座のアンタレスに薬王菩薩の焼身供養を重ね、恐ろしいサソリが自らの死に臨んで祈った想いを「黒白二鼠」の無常と苦悩の根本解決を求めるという命題に重ねたものと思われます。
サソリ座のもう一つの神話
だいぶ星々の天空の舞台から遠いところに来てしまったようです。ここで再び話を元の星空に戻しましょう。
そもそもの疑問があります。物語ではサソリ座の話として、井戸に落ちたサソリが主役です。しかし何故、最も有名で、星空の物語の代表とも言える勇者オリオンと彼を刺した大サソリの話の痕跡が無いのでしょうか。
次回はギリシア神話の一般的なサソリ座の話を掲げ、それが賢治のこの作品に用いられていないことを確認し、次いでサソリ座には別の神話があったことを見ていきたいと思います。その別の神話は、実はこの物語の中核ともいえるテーマや列車の進行方向について重要な鍵を示すのです。
サソリ座のもう一つの神話(二)
前号は、そもそもの疑問はサソリ座の話として有名なギリシア神話がなぜ用いられていないのかというところでおわりました。星に詳しい賢治が一般に良く知られている勇者オリオンと大サソリの物語を無視してサソリ座の物語を新たに作ったとは思えません。そこには『銀河鉄道の夜』という作品を読み解く上で、重要な展開の鍵が隠されているように思えます。
では、初めにギリシア神話の一般的なサソリ座の話を掲げてみましょう。
勇者で美男子の巨人の猟師オリオンは月の女神アルテミスに愛され「天下に自分ほど強いものはいない」と高言してはばかりませんでした。それを耳にした女神ヘーラは怒り、こらしめるため大サソリを送りました。そうとも知らないオリオンは、胸を張って歩いてきたところを、大サソリに足を刺されてしまいました。恐ろしいサソリの毒にかかってはいくら勇者でもたまりません。たちまち全身に毒がまわって、オリオンはその場で息絶えてしまいました。オリオンは彼に好意を寄せるアルテミスの願いで星座になり、この大サソリもオリオンを倒した功にによって空にかけられ、共に黄道の十二星座の一つになった。
どうでしょうか、「かおる子」が語るサソリの話にには関連するものがありません。仏教説話の観点だけから見れば、夜空に赤く輝くサソリ座のアンタレスに薬王菩薩の焼身供養を重ね、恐ろしいサソリが自らの死に臨んで祈った思いを法句経の「黒白二鼠」の無常と苦悩の根本解決を求めるという命題に重ねたとしても、良いようにも思われますが、この物語の東西文明の融合(冥合)という今までの姿勢から考えると、このギリシア神話のオリオンや女神ヘーラに関連するものが無いのは不自然です。サソリがオリオン? ヘーラがイタチ?、逆でもどうしても重なりません。そういえば、オリオン座の足下のうさぎ座はオリオンの獲物とされていますので、さきのジャータカの己が身をもって供養した話は関連しそうですが、こちらは月です。月と星座はあまり関連しません。月が出ては夜空の鮮やかな星座は消えてしまいます。また、手当たり次第の関連させると、明治・大正期に〝世界は元は日本であった〟と豪語した木村鷹太郎氏の論篇のようにもなってしまいますね。
話を本題に戻します。実は、サソリ座についてはもう一つ、神話があるのです。
こちらはオリオンとヘーラ女神の話の後、大サソリがすでに黄道すなわち天空の太陽の通り道に昇った後の物語です。本連載で以前白鳥座のくちばし付近にある二重星アルビレオ、アルビレオの観測所のお話しをしましたが、太陽神アポロンの息子パエトンが太陽を曳く馬車に乗った話です。そこにはパエトンが父に内緒で太陽を曳く馬車を駆った時、馬の足を刺して暴れさせたサソリがいたのです。
太陽神アポロンの息子の一人にパエトンという少年がいました。パエトンは自分の父がアポロンであることに誇りを持っていましたが、親友のキグナスさえ誰も、彼がアポロンの息子であると信じようとしませんでした。そこで、それを証明しようとパエトンは、アポロンの住む宮殿に赴きます。アポロンは、パエトンが自分の息子であることを認め、その証に望みを一つ叶えてやろうといいました。
パエトンは、父アポロンのように太陽を曳く馬車に乗り天空を駆けたいと願いました。アポロンは渋りました。馬車を曳く馬は気性が荒く、アポロンでなければ、制することができないからです。パエトンはアポロンの忠告を聞き入れず、こっそり馬車に乗って飛び出してしまいます。天空を駆ける太陽の車、パエトンが下界に向かって手を振ると、キグナスも地上の人々も驚いて笑顔で手を振りました。すべてが素晴らしい展開と見えたその時、異変が起こりました。太陽の通り道とはいうまでもなく黄道です。ちょうどサソリ座のわきを通り過ぎたときに、サソリが、馬の足を尻尾の毒針で刺したのです。馬は暴れだし滅茶苦茶に走りはじめ、太陽の炎で天界と地上は燃えさかっていきます。放っておいては、大惨事になるとみた大神ゼウスは、即座に雷の矢を放ってパエトンを撃ち殺してしまいました。パエトンの亡骸は、遥か下のエリダヌス川に落ちていきました。
再びアルビレオへ
サソリ座の下方にはエリダヌス座という星座があります。晩秋から初冬にかけての宵、南の空に一部地域で見られます。この星座の末端には、全天二十一の一等星の一つ、最も明るい恒星、アケルナル(アラビア語で川の果ての意)があります。
賢治はこの物語でサソリ座について描く際に、オリオンが登場する神話ではなく、白鳥座のキグナスとパエトンの神話、それと仏教説話の自らの命を捧げた誓いを関連させているのです。それはこの連載の初め頃にお話した、白鳥座のくちばしの星、夜空の宝石・二重星アルビレオ。アポロンの雷によって川に落ちた友の亡骸を探す親友キグナスのかざす灯火です。それは川に落ちたカンパネルラを捜す灯火、また、生死の消息を照らすアルビレオの観測所の灯台の明滅。友人のために川に入ったカンパネルラ、生死を暗示する青とオレンジに輝くアルビレオ。
次回は、父の愛を求めた末に死んだ友を必死に探すキグナス、すなわち、白鳥の姿として天の星座に昇った北天の十字架・白鳥座の説明に一度戻り、再び、サソリの火について考えます。また、ここから列車の進行方向が変わったこと、また、そもそもこの「かおる子」と「タダシ」という姉弟は、この物語の重要な登場人物ですが、何者なのか、などについて考えましょう。
白鳥座キグナスの神話
父の反対を押し切って太陽の馬車を駆って、天空を駆け巡るパエトン。黄道のサソリ座を通った時、サソリが馬の足を刺しました。馬車は暴走して地上は見る見る劫火に包まれます。これを見たゼウスは、即座に雷を放ちパエトンを射ち殺し(有名な"ゼウスのいかづち""親父のカミナリ"です)、パエトンの亡骸はエリダヌス川へと墜ていきました。
この様子を見ていたパエトンの親友のキグナスは川の中に入ってパエトンの魂を救おうとしました。いつまでもあきらめようとしないキグナスを見かねたゼウスは、彼を白鳥の姿に変えて天に昇らせました。そして、キグナスは星座になっても、パエトンの魂が自分を見つけられるようにと、くちばし(アルビレオ)に灯を点しながら天空を廻り続けている。
これが、白鳥座の神話です。もう一つ別の神話もありますが、この連載の前頃の説明と重複しますが、この物語で南十字と北十字すなわち白鳥座との関係をお話するため、再び白鳥座の星々の説明をします。
白鳥座のアルビレオは天上の宝石と呼ばれています。白鳥座のくちばしの先に当たる部分で、オレンジと青色にまたたいている不思議な星です。この星が二色にまたたくのは実は、地球から重なって見える二つの星、二重星だからです。まるで、二つの魂が寄り添うような天空の道しるべ、銀河鉄道の信号機の瞬き、灯生死を分かつ黒い河を照らすアルビレオの観測所の灯台の光です。
さて、白鳥座の見える方角は、銀河系の中心部にあたります。いて座の南斗六星の北に見える暗い小星座・楯座から白鳥座の翼にかけては天の川が大きく暗黒星雲によって遮られているように見えます。また、東の翼の先の「網状星雲」と呼ばれるベールのように広がった星雲や、夏の大三角を構成する星の一つで、白鳥座で最も明るい一等星・デネブの北には「北アメリカ星雲」があります(形がアメリカ大陸に似ていることからこのように呼ばれます)。
また、デネブから白鳥座で二番目に明るい二等星、北十字の交点に位置するサドルにかけて大きな暗黒星雲があります(サドルはアラビア語で「胸」の意味)。この白鳥座の巨大な暗黒星雲は南十字座にある「コールサック( 石炭袋)」になぞらえて「北の石炭袋( ノーザン・コールサック)」と呼ばれています。
そうです、この物語は最初の駅と終わりの駅がいずれも天空の十字で、二つの十字は空の穴・石炭袋で繋がっているという構造があります。
サソリ座のところで、この物語で有名なオリオンとサソリの神話ではなく、「白黒二鼠」の仏典中の譬話と幾万年も肘を灯して供養した法華経の薬王菩薩の姿を組み込んで、友を救うため川に沈んだカンパネルラとの旅の最後の描写、サソリ座の下方にパエトンが墜ちたエリダヌス座や、キグナスとパエトンの白鳥座の神話のイメージに導いていると考えます。
本州で見える最南の星座・サソリ座付近から、列車は実は北の白鳥座目指して方角を変えます。サソリの灯を車窓に見、地平線下の南十字の駅に着くと、列車は石炭袋から白鳥のステーションかすめ、ジョバンニをもとの草むらに運んでいくのです。
これは、実は銀河鉄道の初めの車窓風景の描写にすでに暗示されていました。引用させていただきます。
七、北十字とプリオシン海岸
「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」
いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、急きこんで云いました。
ジョバンニは、(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった。)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえているようでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」
ジョバンニはびっくりして叫びました。
「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。
俄かに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床の上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架がたって、それはもう凍った北極の雪で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。
さて、今回は白鳥座の説明だけで終わってしまいました。次号では南十字のお話と、サソリの灯の話をした香子と弟の話まですすめればと思っています。
サソリの灯からサザンクロス
本州では、天の川はさそり座付近で地平線に近くなります。地平線の先の天の川は、観測者が南に向かえば見えるようになります。今回は普段、私たちが見ることがない南の星空の話になります。
沖縄やサイパンに行き、南に天の川をたどっていくと、十字架の形をした星座に出会います。これが「サザンクロス」つまり「南十字星」です。十六世紀初頭の大航海時代、初めてこの星座を目にしたのは、ヴァスコ・ダ・ガマでした。以後、南半球を旅する男たちは、はじめてみる、真南に強く輝く十字架に船の針路を託し、十字を切ったことでしょう。十字が真南に見える南中の時の南十字星は天の川に架かる壮麗な十字架そのものです。また、南十字星の北には大きなケンタウルス座があって、物語ではさそりの灯を過ぎた列車はケンタウルスの村を通過して南十字星に至ります。
十字架の下の二重星
この星座の目立つ星は五つ。四つの十字架を構成する星と、十字架の中に小さな星が一つあります。南十字を構成する五つの星は、十字架の下にあたるアクルックスから順番に時計回りに明るさが並んでいます。一番明るいアクルックスは、以前にお話し致しました白鳥座のアルビレオと同じく二重星(実は三連星)です。最も南に位置する一等星で、離角は四秒、繊細に明滅する二重星です。双眼鏡程度では明るいアルファ星とやや暗い星が並ぶ二重星として観測されますが、大きな望遠鏡で観測すると明るいアルファ1星はさらに一等星どうしの分光連星、同じ角度に見える二つの星といいます。(分光連星=北半球では「ぎょしゃ座」カペラなどががあります)白鳥座の十字では真北すなわち真上の白鳥のくちばしが二重星アルビレオでしたが、南十字星は真南、すなわち下のアクルックスが二重星になります。
北十字と南十字
さて、この南十字付近の星空は賑やかです。蘭の花の形のような美しいエータ・カリーナ星雲、南十字星より大きいダイヤモンド形のニセ十字、それと南十字星を見分ける目印であるケンタウルス座のアルファ星とベータ星からなるポインター。このポインターのアルファ星は-0.2等星、ベータ星は0.6等星と大変明るい星です。このポインターが並ぶ右側に石炭袋と呼ばれる暗黒星雲を含む南十字があります。特に注目すべきことはこのポインターのアルファ星も二重星です。しかも0.0等星と1.3等星で離角十六秒で明滅する全天一美しい二重星といわれます。
白鳥座と南十字星は、十字の形をした星座であること、暗黒星雲を伴うこと、明滅する二重星を持つことなど、いくつかの類似点を持っています。そして前回でお話したように、銀河鉄道の線路は最初の駅(星座)と最後の駅(星座)が十字架と石炭袋で繋がっているという構造をもっています。また、ジョバンニたちの村はこの日「ケンタウロス祭」でした。これは南天のケンタウロス座と重なる要素を組み込んでいると見ることができます。
十字架と冷徹な死
さて、『銀河鉄道の夜』では、多くの乗客はこの『南十字星』で降ります。南十字星は天の川に浮かんでいるのですが、さらに南十字星の左下のそばにはコールサック(石炭袋)と呼ばれる、そこだけ天の川に穴があいたような真っ暗な所があります。これは暗黒星雲なのですが、この石炭袋も南十字星を見つけるときの目安になります。コールサックは、濃い天の川の中に、ぽっかりと穴が開いたような感じです。コールサック付近からエータカリーナ星雲に暗黒部が延び、背景の天の川が明るい分、暗黒部がきわだって見えます。
「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指しました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな穴がどほんとあいているのです。その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら目をこすってのぞいてもなんにも見えず、ただ眼がしんしんと痛むのでした。
石炭袋は実際に望遠鏡で見ると暗黒部にグラディエーションが付いているのですが、肉眼では真っ黒に見えます。『銀河鉄道の夜』では南十字星に行った後、銀河鉄道に残ったジョバンニとカムパネルラはこの石炭袋を車窓越しに見ます。南十字と石炭袋は一つの星座といってもいいくらい、すぐそばにあります。銀河鉄道の旅はこの付近で終わると言っていいでしょう。南十字星の壮麗な輝きの足もとにある闇。神の祝福の如く輝く十字架に、冷徹な死という虚無がポッカリと穴を開け、列車はそこに向かっていきます。
生者であるジョバンニには、その先は「ぼんやり白くけむっているばかりどうしてもカムパネルラが云ったように思われ」ない世界でした。
さて、今回は星空の説明が長くなって、先号で予告した列車に乗って来た姉弟についてにまで触れられませんでした。今回は列車の旅の終点近くまで行ってしまいましたが、まだ姉弟のことやサソリの灯とバルドラの野原のことなど、物語の重要なのことをまだお話していません。しばらく物語の終盤について物語の進行を前後しながら、銀河鉄道の大きなテーマについて考えていきたいと思います。
(以上『統一』200号/最新号に連載中/財団資料担当:西條義昌)